この写真のサイズ980x440です

花の渡良瀬

昔の絵はがきに見る 足尾八景

 俳句の盛んだった足尾らしく、俳句と写真が印刷された "付かず離れず" の理想的な関係の絵はがきがあります。明治33年に私製絵はがきの使用が可能となり、各地の名所旧跡の絵はがきを旅先から送ることが盛んになった時代のことです。

足尾の「絵はがき」

 一般に、絵はがき写真の撮影者はほとんどが不明ですが、足尾関連の絵はがきは小野崎一徳の撮影がほとんどで、多くの絵はがきは銅山関連です。その中で「足尾八景」と題した風景写真等のシリーズも残されています。また、「足尾八景」の撮影時期は大正期と思われます。

足尾八景の地図(ケータイmap位置ずれる) 1 2 3 4 5 6 7 8

地図の丸数字クリックで移動

① 渡良瀬の春宵

あかがね橋
絵はがき:渡良瀬の春宵
橋の断面
左写真:改修前後の図

花の灯や碎けながらに流れけり(アルプス)

 ここは山神祭や園遊会で賑わい、「青葉の小滝」に対して「花の渡良瀬」と呼ばれました。
 渡良瀬橋一帯は桜の名所として知られ、足尾銅山全盛期の山神祭には橋の両側に色とりどりの灯がともり、夜通し賑わったそうです。足尾駅より約500m、徒歩約5分の所にあります 。
 左写真は現地案内板に記された改修前後の "渡良瀬橋" の説明図です。
♦ 絵はがき:コンクリートアーチ橋になる前の渡良瀬橋。夜桜見物用の色電球がつけられている。

渡良瀬橋と桜
コンクリート製の現在の渡良瀬橋

 明治後期に建造された渡良瀬橋は当初鉄製のアーチ橋でした。
 その後昭和2年に改修、さらに昭和10年(1935年)に上路コンクリートアーチ橋に改修され、現在は歩行者専用橋として利用されています(写真:2012/04/30)。

② 簀子橋の夕涼

簀子橋の夕涼
絵はがき:簀子橋の夕涼

谷風の袂に入るや橋涼み(一松)

 簀子橋(すのこばし)とは、渋川の中流域にある地域をいいます。そこへ行くのに狭い谷間の崖沿いに簀子張りの橋が山神社近くに架けられていたので、「簀子橋」と言うようになりました。絵はがきの右端に不動滝が写っています(現在立ち入ることが出来ません)。
♦ 絵はがき:簀子橋の景、写真右下に不動滝が見える。

簀子橋山神社大鳥居
簀子橋山神社大鳥居(写真:2010/04/18)

簀子橋山神社大鳥居
 この大鳥居は簀子橋への入口、渋川岸にありました。護岸工事の時、現在地(蓮慶寺)の境内に移されました。
 山師達は山神様に日々繁栄と安全を祈願し畏敬の念をもって奉じたのです。
♦ 大鳥居:"安永五年(1776年)丙申天五月吉日 願主 間遠(藤)村藤衛門 寄進 銅山師十四村" と刻まれている。
♦ 山師:鉱脈を捜して鑑定し、鉱山の発掘を行う人。

③ 庚申山の紅葉

庚申山の紅葉
絵はがき:庚申山の紅葉

一山の奇蹟をあつむ紅葉哉(耕坡)

 滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の中に庚申山が登場し、奇岩・怪石の林立する独特な風景が紹介され、化け猫退治の武勇談も同時に広まった。
♦ 絵はがき:滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の舞台にもなった足尾の名所、庚申山。特に紅葉で有名だった。

天下の見晴らし
"天下の見晴らし" から庚申山を望む

 "天下の見晴らし" と名づけられた展望の良い頂上から撮影した庚申山です。手前左の山は、"銀峯(1681m)" という馴染みの薄い山ですが、秋に織り成す岩壁と紅葉の景色は、男性的な足尾の秋色を演出します(写真:2010/10/23)。

♦ 大町桂月 著 (明治42年出版) 『関東の山水』 博文館
「一度見ぬ馬鹿、二度見る馬鹿」 といふ庚申山に對する俗諺あり。庚申の如き霊奇の山を一度も見ざるものは、馬鹿也。されど、危険きはまる山なれば、二度とゆくは馬鹿なりとの意也。われは、その二度見る馬鹿となりけるが、閑と錢とあらば、なほ三度見ることを辭せざる也。
(以下は、つたない解釈です)
「一度見ぬ馬鹿、二度見る馬鹿」という、庚申山にたいすることわざがあります。庚申山のような神秘的で不思議な山を一度も登ったことのない人は不幸です。しかし、この上なく危険な山だから、決して二度登ることは考えられないという意味です。わたし自身は二度登るという無鉄砲なことをしてしまったが、もし時間と金銭の都合がつけば、更に三度登ることにやぶさかでない。

④ 笠松の晴嵐

笠松の晴嵐
絵はがき:笠松の晴嵐

晴嵐の笠松に日は斜なり(山猫)

 掲載 "絵はがき" のほかに「足尾大名峠笠松の景」という名の絵はがきもありました。その絵はがきと、掲載絵はがきの松の木は同一の松の木で、名木として知られていたそうです(現在、大名峠道は山の斜面と一体となって、道の痕跡すら消滅しています)。
♦ 絵はがき:大名峠笠松の景。

大名峠渓流の図
大名峠の岨道に疎立している松の木
「大名峠渓流の図・足尾銅山図会」

 右絵図は「風俗画報増刊第234号」掲載の「大名峠渓流の図」です。
 (絵図説明文の抜粋) 切幹(ぎりみき)より澤入線に入り、馬車鐵道にて渓流に從い、上州路に向て進めば風景轉換し、山水の奇別に一機軸を出せるものゝ如し。
 前岸大名嶺を望めば、危崖に古松疎立し、桟道懸るところ人馬の往来するを見る。眞に画中の観あり。渓畔馬車の通する線路、亦崖腹に依りて開拓せしもの。
 (絵図説明文の補足) 渡良瀬川左岸に立ち写生。手前の馬車鉄道は、左端の「笠松片マンプ」に向かって進んでいます。渡良瀬川対岸の大名峠では、松の木の生える険しい山道を馬子や人々が行き交います。
♦ 大名峠渓流の図:風俗画報増刊第234号「足尾銅山図会」明治34年 東陽堂発行
♦ 片マンプ:岩盤の側壁を⊂の形に削り取って造った半トンネル

⑤ 山神社の暮雪

山神社の暮雪
絵はがき:山神社の暮雪

雲に暮れて太古の如き社頭哉(越路)

 鉱山で働く人たちの安全と鉱山の繁栄を願い明治22年(1889)に造営されました。足尾に現存する最も古い山神社です。
♦ 絵はがき:本山鉱山神社(杉菜畑山神社すぎなはた さんじんじゃ)。

本山鉱山神社
本山鉱山神社(杉菜畑鉱山神社)

 写真は拝殿前の鳥居で、明治22年4月に建造されました。鳥居の構造は素朴な神明鳥居形式で、材質は鉄で全体に直線的に造られています。柱は地面に対し垂直に立てられています(写真:2008/03/30)。

⑥ 七瀧の新緑

七瀧の新緑
絵はがき:七瀧の新緑

其の中に瀧幾筋の若葉哉(乙葉)

 足尾の "七瀧" といえば
◎庚申七滝
◎七滝橋
(旧足尾中学校下流のはちまん淵に架かる鋼製の吊橋)
等が思い浮かびます。
 絵はがきで紹介の "七 瀧" は、向原の "赤法華梅林公園" の南側を流れる "大屈沢(大クツ沢)" にあります。
 絵はがきの、神社名称所在は不明。
♦ 絵はがき:七瀧の新緑。

七滝
(右上写真:せき)(右下写真:せきからの落水)
大屈沢
左写真:連なる小滝

 現在の"大屈沢"も、絵はがき が作られた当時と同様に幾筋もの滝が続きます(左写真:2024/10/11)。
 右上の写真は "せき"ですが、 "大クツ沢" のなかでは最も大きい "せき" と思われます。
 その "せき" から落水している滝の写真を右下に掲載しました。この滝が、絵はがきで紹介された "七 滝" でしょうか。
" 赤法華梅林公園(あかぼけばいりんこうえん)"
 群馬・栃木を結ぶ国道122号線の下を潜り抜けて流れる "大屈沢" の右岸にあり、約200本の梅が植栽された公園です。

ななたきの水音柔し若緑(白雲)   
七滝の瀬音枕に方位盤(渓秋)    

 掲載の俳句は、"七 滝" を題材に作られ、"赤法華梅林公園" に建つ石碑に刻まれています(他の一句は略)。この碑は "向原七瀧会 有志一同建之" で、平成五年五月十五日に建てられました。

⑦ 渡良瀬川(小瀧川)の秋色

渡良瀬川の秋色
右 絵はがき:渡良瀬川の秋色
小瀧川の秋色
左 絵はがき:小瀧川の秋色

秋の川奇峯に雲の去來哉(渓石)

 絵はがきの橋は「第二渡良瀬川橋梁」で、渡良瀬川に架かっています。
 全く同じ写真の絵はがき で、「小瀧川の秋色」というタイトルの絵はがきも存在します(左写真絵はがき)。
♦ 絵はがき:渡良瀬川に架かる、第二渡良瀬川橋梁。

第二渡良瀬川橋梁
第二渡良瀬川橋梁
左奥:切幹橋 左手前:旧切幹橋

 原向駅から国道122号を通洞駅方面に行くと、切幹(ぎりみき)橋があります。写真の左下奥のチョコレート色の小さな橋が「切幹橋」です。
 その手前の白い橋は「旧切幹橋」です。この二つの橋は庚申川(小瀧川)に架かる橋です。
 手前中央の青色の橋が渡良瀬川に架かる "第二渡良瀬川橋梁" で、鉄道橋です。この橋梁は足尾鉄道によって、大正元年(1912年)に架設されました(写真:2007/10/20)。

⑧ 磐裂神社の秋月

磐裂神社の秋月
絵はがき:磐裂神社の秋月

神垣や樹の間もれくる秋の月(松雲)

 磐裂神社は足尾の鎮守で、「妙見様」とも呼ばれました。
 明治四十四年三月二十日村社磐裂神社及び境内社五社を前遠下の地より現在の地に移轉しました。
♦ 絵はがき:磐裂神社全景。

狛犬
拝殿前の狛犬

 参道を進み、わたらせ渓谷鉄道の踏切を渡ると二の鳥居があります。拝殿前には年季の入ったユニークな表情の狛犬さんがおられます(写真:2013/03/23)。
 江戸時代、庚申山登拝の出発点は遠下の磐裂神杜でした。出発地点を指し示す一丁目丁石が境内にあります。この丁石は江戸時代末期、文久3年(1863年)4月8日に建立されたものです。

◎ 本ページの作成に当っては下記文献を参考にさせていただきました。記して深謝申しあげます。
  • 小野崎敏(2006)『小野崎一徳写真帖 足尾銅山』新樹社