私の 足尾八景
明治33年に私製絵はがきの使用が可能となり、各地の名所旧跡の絵はがきを旅先から送ることが盛んになった時代、「足尾八景」と題した風景写真の絵はがきが発行されました。
しかし当時の景勝地は現在立ち入り禁止、または険しい山上に存在、はたまた消滅した峠道の先に存在していた等々。
このページに掲載の場所は、車で巡ることができ、老若男女どなたでも無理なく訪れることができます。それが「私の足尾八景」の選出基準です。
⑥ 通洞大橋
明治33年に私製絵はがきの使用が可能となり、各地の名所旧跡の絵はがきを旅先から送ることが盛んになった時代、「足尾八景」と題した風景写真の絵はがきが発行されました。
しかし当時の景勝地は現在立ち入り禁止、または険しい山上に存在、はたまた消滅した峠道の先に存在していた等々。
このページに掲載の場所は、車で巡ることができ、老若男女どなたでも無理なく訪れることができます。それが「私の足尾八景」の選出基準です。
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通洞大橋は、国道122号の足尾バイパスと旧道を結ぶ中路鋼アーチ橋で、1980年(昭和55年)に竣功しました。アーチの中間を貫く路面部材の力強さ(中路式ローゼ橋)には、目を見張るものがあります。
橋のたもとには足尾銅山観光施設と通洞鉱山神社があります。
観光バスの走る通洞大橋を通洞地区から写してみました。望遠レンズ使用により圧縮効果のある写真に仕上がりました。
砂畑地区から通洞大橋と足尾銅山観光を撮影。トロッコ乗車ホームに停車中の黄色い列車で坑内に入ります。
昭和の初め頃から受け継がれてきた盆踊りの歌が夜空に響きわたります。納涼祭で歌われる「直利音頭」は鉱山町にぴったりの歌で、足尾独自の節まわしがあります。恒例の仮装大会もあり、これまた大変楽しく夢の世界か、はたまた異次元の "不思議の国のアリスの世界" の様な盆踊りを見ている気持ちになります。
右写真はアーチの中間を力強い路面(補剛桁)が貫く中路式(ちゅうろしき)構造の通洞大橋を見上げて写しました(右写真:2022/04/09)。
左写真は通洞大橋からの眺望です。朝早く家を出たので、もやがかかる 簀子橋堆積場を写すことができました(左写真:2015/08/23 朝7時20分撮影)。
♦ 通洞大橋 : アーチ部材と補剛桁が同程度の強度を持つ構造の中路式ローゼ橋。橋長:169.5m。
♦ 簀子橋(すのこばし)堆積場 : 渋川をロックフィルダムでせき止め、その上流に浮選尾鉱(スライム)等を堆積する場所。
♦ ロックフィルダム : 岩石や土砂を積み上げて建設する型式のダム。
足尾銅山400年の歴史において、堀り開いた坑道の長さを合計すると1234km(東京・博多間)に達するそうです。深さは備前楯山頂付近から約1100mまで採掘し、粗鉱を搬出しました。
通洞坑は明治18年(1885)開坑に着手し、昭和48年(1973)閉山となりました。昭和55年(1980)、足尾銅山観光としてオープン、以来多くの人たちが通洞坑を訪れています。
通洞鉱山神社は、銅山最盛期の頃の大正9年(1920年)に鉱業所がこの地に移設されたとき造営されました。ここの狛犬は当初、簀の子橋(すのこばし)山神社にあり、通洞鉱山神社造営のときに移されました。この狛犬は寛保3年(1743年)に彫られましたが、その歴史を感じさせない現代っ子的な愛敬のある顔の持ち主です。