私の 足尾八景
明治33年に私製絵はがきの使用が可能となり、各地の名所旧跡の絵はがきを旅先から送ることが盛んになった時代、「足尾八景」と題した風景写真の絵はがきが発行されました。
しかし当時の景勝地は現在立ち入り禁止、または険しい山上に存在、はたまた消滅した峠道の先に存在していた等々。
このページに掲載の場所は、車で巡ることができ、老若男女どなたでも無理なく訪れることができます。それが「私の足尾八景」の選出基準です。
⑤ 渡良瀬橋
明治33年に私製絵はがきの使用が可能となり、各地の名所旧跡の絵はがきを旅先から送ることが盛んになった時代、「足尾八景」と題した風景写真の絵はがきが発行されました。
しかし当時の景勝地は現在立ち入り禁止、または険しい山上に存在、はたまた消滅した峠道の先に存在していた等々。
このページに掲載の場所は、車で巡ることができ、老若男女どなたでも無理なく訪れることができます。それが「私の足尾八景」の選出基準です。
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明治後期に建造された渡良瀬橋は鉄製のアーチ橋で、渡良瀬地区と掛水地区とを繫ぐ架け橋でした。その後、昭和2年(1927年)に改修、さらに昭和10年(1935年)に上路コンクリートアーチ橋に改修されました。
現在は歩行者専用橋として利用され、隣接した上流側には平成10年(1998年)に新渡良瀬橋が開通しました。
近辺には、花の渡良瀬公園、馬頭尊碑、掛水倶楽部、波之利大黒天 等があります。
写真の渡良瀬橋は、ネイティブアメリカン先住民族ナバホ族の神聖なる地にある、虹が固まって石になったと言い伝えられる「レインボーブリッジ」と同様に、この橋を目の前にすると、渓谷に懸かる虹のような美しさを感じとることができます。現在は歩行者専用橋として利用されています。
上掲写真の右端にある橋が渡良瀬橋、Uの字に流れる川が渡良瀬川、清々しい緑に囲まれた建物は掛水倶楽部、後方中央の山は有越(ありこし)山です。
この渡良瀬橋の下流から足尾中学校までの区間で、毎年8月には、釣り大会が行なわれています。
渡良瀬橋から足尾の春を代表する "花の渡良瀬公園" の桜を撮影しました。
"花の渡良瀬公園" から掛水倶楽部を撮影しました。明日からはもう5月、それなのに今が満開の渡良瀬の桜。
足尾駅から左に折れ、しばらく進むと渡良瀬橋の手前右側に白い建物の古河掛水倶楽部(2006年国指定有形文化財)があります。館内には大正13年(1924年)製造のドイツ製のピアノや、製作年代は明治中期と推定される国産の西洋式玉突台があります。
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古河掛水倶楽部:明治32年(1899年)に建設されたこの洋館は、明治末から大正初期に改築され、外観は洋風で内部は和洋折衷の木造建築で、銅山での接待、宿泊施設、会合等に使用されました。
芽吹きの季節にはまだ早いが、明るい日差しが感じられる掛水での光景。
右の写真は、大黒橋の たもと にある "大黒様"
です。日光を開山した勝道上人が、この祠の下方にある洞穴を修験の場とし、洞穴に大黒天と白ネズミの像を祀り、この郷を「足尾」と命名したと伝えられています(右写真)。
この馬頭尊は明治26年に下間藤に建てられ、大正10年頃ここに移されました。盛時には足尾に300頭以上の馬がいて、銅山の物資運搬に活躍しました。それ故この地 渡良瀬 に、このように大きな馬頭尊が建立されたことは、必然的な出来事でしょう(左写真)。