私の 足尾八景
明治33年に私製絵はがきの使用が可能となり、各地の名所旧跡の絵はがきを旅先から送ることが盛んになった時代、「足尾八景」と題した風景写真の絵はがきが発行されました。
しかし当時の景勝地は現在立ち入り禁止、または険しい山上に存在、はたまた消滅した峠道の先に存在していた等々。
このページに掲載の場所は、車で巡ることができ、老若男女どなたでも無理なく訪れることができます。それが「私の足尾八景」の選出基準です。
② 銅橋(あかがねばし)
明治33年に私製絵はがきの使用が可能となり、各地の名所旧跡の絵はがきを旅先から送ることが盛んになった時代、「足尾八景」と題した風景写真の絵はがきが発行されました。
しかし当時の景勝地は現在立ち入り禁止、または険しい山上に存在、はたまた消滅した峠道の先に存在していた等々。
このページに掲載の場所は、車で巡ることができ、老若男女どなたでも無理なく訪れることができます。それが「私の足尾八景」の選出基準です。
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足尾ダム下流につくられた「あかがね橋」は、地域のシンボルとして架設された県内初の人道用斜張橋です。斜張橋のケーブルの張り方にはいくつかの方法がありますが、横浜ベイブリッジと同じ種類のファン型です。そして美しい斜張橋を渡れば「あかがね親水公園」です。平成8年に完成したこの公園には「環境学習センター」があります。
近辺には、わたらせ川源流の碑、足尾ダムの壁面に設置された足尾焼によるレリーフ、仁田元沢に架かる水管橋があります。
♦ あかがね橋:橋長:106.6m 最大支間長:73.0m 有効幅員:4.0m
銅橋近辺にはカモシカのレリーフ、わたらせ川源流の碑等があり、足尾環境学習センターでは銅山の歴史と自然の大切さが学べます。
空に向かってすっくと立つ、"あかがね橋"。たるみなく一直線に張られた斜張ケーブルに力強さを感じてスナップショット。橋のたもとに設置された親柱は、松木沢で採取した
"庚申御影" の自然石で作られています。
♦ 銅橋の親柱:松木沢のみで採取できる庚申ミカゲの自然石を用いました。
"もや" のかかった地蔵岳(1274m)を背景に、大煙突を撮影しました(右写真:2012/10/26)。
"足尾環境学習センター" は、銅親水公園内にあり、足尾の歴史と自然の大切さと環境問題を学べる施設になっています(左写真:2022/05/02)。
足尾ダムの壁面には足尾焼(陶板)によるカモシカのレリーフが設置されています(右写真:2002/04/29)。
松木川、仁田元沢、久蔵沢の三川が合流する位置に建つ "わたらせ川 源流の碑" から下流を、渡良瀬川と称します(左写真:2007/08/19)。
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陶板による壁画:地場産業である「足尾焼」の陶板約2,000枚を用いて、この地に多数生息するニホンカモシカのレリーフ(高さ15m・上辺25m・下辺15mの台形、面積300㎡)が描かれています(平成4年12月完成)。
4年5ヶ月の歳月をかけて、昭和29年に完成した砂防ダムは高さ39メートル、長さ204.4メートル、貯砂量500万立方メートルという大きさでした。水は7段に分けられて流れ落ちており、このダムによって下流の人々は水害や流砂の脅威から開放されました。
松木川、仁田元沢、久蔵沢の三川が合流する水量の豊富な足尾ダムでさえも、冬季は夏季に比べ水量が非常に少なくなります。落水の音も小さく、雪ふるなかひっそりとしたたたずまいを呈して そそり立つ横場山。
上掲写真は横場山中腹から撮影した "足尾砂防ダム" の全景です。写真右上に、"あかがね橋" の支柱が写っています(写真:2015/11/22)。
ここで合流する川は、画面左上から右に流れ込む久蔵沢、左手前から奥に流れる松木川、画面右から奥に流れる仁田元沢です。
これら三川が合流して渡良瀬川となり、"足尾砂防ダム" から落水します。
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足尾砂防ダム(三川合流ダム):計画貯砂量500万立方メートルの砂防ダムで、昭和30年に完成した。完成当初は満々と水をたたえていましたが、現在は溢れるほどの砂石で満杯です。
三川合流地点の河川敷に、仁田元沢水管橋が、架設されています。絶えず大量の水を供給し健気に働いている橋ですが、外観は、さりげなく静かに横たわっているだけです(写真:2012/10/26)。