わたらせ渓谷鐵道登録有形文化財
足尾銅山で採掘された鉱石を運ぶために敷設された鉄道は、足尾鉄道株式会社 ⇒ 国鉄足尾線 ⇒ JR足尾線 ⇒ わたらせ渓谷鐵道 と変遷してきました。
そのようななか、開業当初に建設された鉄道施設が現在も数多く活躍しており、その文化財的価値が認められ、駅舎・橋梁・トンネルなどの鉄道施設が登録有形文化財となりました。
(足尾地区の文化財12施設 / わ鐵の文化財全38施設)
足尾銅山で採掘された鉱石を運ぶために敷設された鉄道は、足尾鉄道株式会社 ⇒ 国鉄足尾線 ⇒ JR足尾線 ⇒ わたらせ渓谷鐵道 と変遷してきました。
そのようななか、開業当初に建設された鉄道施設が現在も数多く活躍しており、その文化財的価値が認められ、駅舎・橋梁・トンネルなどの鉄道施設が登録有形文化財となりました。
(足尾地区の文化財12施設 / わ鐵の文化財全38施設)
No.27からNo.38の12施設
27.笠松トンネル ⇒
28.第二渡良瀬川橋梁 ⇒
29.有越沢橋梁 ⇒
30.通洞橋梁 ⇒
31.通洞駅本屋及びプラットホーム ⇒
32.渋川橋梁 ⇒
33.足尾駅本屋及び上り線プラットホーム ⇒
34.足尾駅下り線プラットホーム ⇒
35.足尾駅危険品庫 ⇒
36.足尾駅手小荷物保管庫 ⇒
37.足尾駅貨物上屋及びプラットホーム ⇒
38.第一松木川橋梁 ⇒
足尾鉄道の敷設後、馬車鉄道は廃止になりました。そうして馬車鉄道時代に活躍した 『笠松片マンプ』 の存在を知る人達は、数少なくなっていくのでしょう。
♦片マンプ
:岩盤の側壁を⊂の形に削り取って造った片トンネル。
♦ 笠松トンネルに突入するトロッコわっしー号
⇒ 笠松片マンプへ、ジャンプ
(27)笠松トンネル(大正元年)
日光市足尾町字片向・みどり市東町沢入字峠向
沢入駅から下り線で約5分半、原向駅から上り線で約2分で見えはじめます。トンネルは全長362mで、入口部分は、アーチ部分を煉瓦積み、側壁部分を切石積みとしています。旧足尾鉄道として建設されたトンネルの中では、最も長いトンネルです。‹わたらせ渓谷鐵道(株)発行パンフレットからの抜粋›
渡るに良い浅瀬を探りながら、冷たい流れの渡良瀬川を渡り、橋台下でシャッターを切りました。
奥に見える二つの橋は、庚申川に架かる新旧の切幹橋です。
渡良瀬川の上流側から写しました。渡良瀬川は、この橋台の後ろで庚申川と合流し、左奥へ流れて行きます(上写真:2007/10/20)。
庚申川に架かる旧切幹橋から(上写真:2010/03/12)
(28)第二渡良瀬川橋梁(大正元年)
日光市足尾町遠下・小ナギ
原向駅から下り線で約1分半、通洞駅から上り線で約3分で見えはじめます。渡良瀬川を横断する橋で、全長95m、細長い鋼材を三角形につなぐプラットトラス形式です。旧足尾鉄道として建設された橋の中では、最も長い橋です。橋の形式からは、アメリカからの橋梁技術の導入とその後の国内での発展の歴史が見て取れます。‹わたらせ渓谷鐵道(株)発行パンフレットからの抜粋›
有越沢橋梁をくぐり抜けて左に進めば、中才地区の住宅地にでます。煉瓦造の防火壁など残されており、鉱山住宅地の雰囲気を伝える景観が今なお保たれています。
(29)有越沢橋梁(大正元年)
日光市足尾町中才
原向駅から下り線で約3分半、通洞駅から上り線で約1分半で見えはじめます。全長14m、上路式プレートガーダー形式の橋です。橋の付近には、足尾銅山で働く職員や鉱夫(こうふ)のための社宅が数多く残っており、足尾銅山が操業していた頃の雰囲気を伝える貴重な景観を、眺めることができます。‹わたらせ渓谷鐵道(株)発行パンフレットからの抜粋›
通洞橋梁は、選鉱所の出入口を確保するために架けられました。
選鉱所の玄関口から通洞橋梁を見上げて写しました。正面に選鉱所、背景の山は有越山南面の岩崖、その右に見える小さな鉄筋コンクリート製の塔は有越鉄索塔です(上写真:2010/12/19)。
列車が 『通洞橋梁』 にさしかかったときに車窓から写した選鉱所です。写真の下端に、列車の影が写り込んでいます。円筒状の設備は、鉄筋コンクリート製シックナーです(上写真:2011/11/01)。
(30)通洞橋梁 (大正元年)
日光市足尾町中才
原向駅から下り線で約3分半、通洞駅から上り線で約1分半で見えはじめます。全長13m、上路式プレートガーダー形式の橋です。かつて東洋一と呼ばれた通洞選鉱所の出入口のため、架けられました。現在選鉱所の操業は行っていませんが、近くに変電所などの産業遺産を見ることができます。‹わたらせ渓谷鐵道(株)発行パンフレットからの抜粋›
足尾の中心市街地である通洞地区の玄関口としての駅です。
駅前のモニュメントは足尾町町制100周年の記念として、平成元年11月に建てられたものです。
♦通洞駅前の風景
♦夜の通洞駅
♦通洞駅構内からの光景
♦通洞駅のイルミネーション
♦通洞駅のイルミネーション(モノクローム写真)
(31)通洞駅本屋及びプラットホーム (大正元年)
日光市足尾町松原字新梨子裏5400-7
通洞駅本屋 足尾の中心市街地である通洞地区の玄関口として大正元年に設けられました。大正10年に、銅山を経営する事務所をはじめとする機能が通洞地区に集約されたことから、通洞駅の重要性はさらに高まりました。駅舎は昭和11年に改修されましたが、木造平屋建てで、本屋の正面・背面・側面の上部3ヵ所には柱や梁(はり)を外に現したハーフティンバーが外観の特徴となっています。現在は、足尾銅山観光、足尾歴史館などの最寄り駅として、行楽シーズンには多くの観光客で賑わっています。
通洞駅プラットホーム 大正元年に建設されたもので、擁壁は間知石による割石積みです。後に中央部分は割石一段分がかさあげされましたが、開業からいまなお現役で使われています。‹わたらせ渓谷鐵道(株)発行パンフレットからの抜粋›
足尾の農民、治部と内蔵が渋川をさかのぼり、銅鉱の露頭を発見したのが、足尾銅山のはじまりとされています。その渋川に架かる橋梁が、渋川橋梁です。
♦露頭:鉱床が地表に露出している部分を言う。
(32)渋川橋梁 (大正元年)
日光市足尾町赤沢・松原
通洞駅から下り線で動き出してすぐ、足尾駅から上り線で約1分半で見えはじめます。全長14m、上路式プレートガーダー形式の橋です。足尾銅山の発見と開発はこの橋の上流から始まったといわれており、銅山とともに盛衰を繰り返したまちを大正以降見守り続けてきた橋です。‹わたらせ渓谷鐵道(株)発行パンフレットからの抜粋›
足尾駅は、足尾銅山の貨物集散拠点として機能していました。
懐かしい郵便ポストのある風景(上写真:2016/05/03)。
♦足尾駅本屋及び上り線プラットホーム
♦ポストのある風景
(33)足尾駅本屋及び上り線プラットホーム (大正元年)
日光市足尾町掛水字上掛水2316
足尾駅本屋 足尾銅山を経営する事務所や古河掛水倶楽部があった足尾銅山の中枢部に、大正元年に設けられました。当時の本屋は、現在の大間々駅と同じく入母屋造で、切妻造であった他の小規模な駅とは異なっていました。本屋は、昭和13年に改修されましたが、特に外部は大きな改造もなく、今も現役で使用されている木造平屋建ての素朴な建物です。
足尾駅上り線プラットホーム 大正元年に建設された桐生方面に向かう全長109mのプラットホームです。擁壁は間知石による割石積みで、縁石を並べて砂利で舗装しています。開業からいまなお現役で使われています。‹わたらせ渓谷鐵道(株)発行パンフレットからの抜粋›
長さが109mほどある長いプラットホームです。全面が砂利舗装のまま残されており、旧足尾鉄道各駅のプラットホームのなかでも、建設当時の姿を留めた貴重なものです。
(34)足尾駅下り線プラットホーム (大正元年)
日光市足尾町掛水字上掛水2316
間藤方面行きのプラットホームで、全長109mです。構造も上りプラットホームと同じく間知石による割石積みです。全面が砂利舗装のまま残されており、旧足尾鉄道の各駅のプラットホームのなかでも建設当時の姿を留めた貴重なものです。‹わたらせ渓谷鐵道(株)発行パンフレットからの抜粋›
数ある足尾駅のWeb写真を拝見すると、郵便ポストといっしょに写る足尾駅の写真が沢山あります。そして同程度にアップされている写真といえば、この「危険品庫」でしょうか。
足尾鉄道からわたらせ渓谷鐵道へと時代とともに姿を変えてきましたが、赤レンガ造りでアーチ型の門戸と窓を設けたこのデザインの変わらぬ姿が、遠い過去からの贈り物として訪れる人を魅了するのでしょう。
(35)足尾駅危険品庫 (大正3年)
日光市足尾町掛水字上掛水2316
足尾駅上り線プラットホームの南端にある、赤煉瓦で造られた建物です。現在は使用されていませんが、灯油を中心とする危険物の収納庫として使用されていました。ごく小規模な建物ですが、正面にアーチ型の出入口を、右側面に小さなアーチ窓を設けている華やかなデザインとなっています。‹わたらせ渓谷鐵道(株)発行パンフレットからの抜粋›
この被写体に対して過去何回シャッターを切っただろうか、おそらく2・3回程度でしょう。私にとっては、それくらい目立たない建物でした。
国鉄時代に全国各駅に設置されたごく普通の施設だったのでしょうが、時代とともに姿を消して行きました。
そうしたなか、足尾駅に残っている 「手小荷物保管庫」は、今では大変貴重な存在となりました。今は使われていませんが、今後末永く残ることを祈念いたします。
(36)足尾駅手小荷物保管庫 (昭和10年)
日光市足尾町掛水字上掛水2310
足尾駅の改札を通りすぐ右側にある小さな木造の建物で、今で言う宅配便の荷物を保管していた場所です。昔は荷物を送るときは汽車が主に使用され、駅に到着した荷物を持ち主が受け取りに来ていました。現在は使われていませんが、国鉄時代の足尾駅関連施設として貴重なものです。‹わたらせ渓谷鐵道(株)発行パンフレットからの抜粋›
足尾銅山の貨物集散拠点として機能していた貨物上屋は、柱と屋根のシンプルな構造の建物ですが、貨物列車の停車場として働いていた当時の面影をいまなお残して立っています。前後の側壁部と、柱の朽ちた部分は、補修されましたが、「テセウスの船」のように、末永く残ればとおもいます。
☆テセウスの船:ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題を投げかけた船。
(37)足尾駅貨物上屋及びプラットホーム (大正元年)
日光市足尾町掛水字上掛水2309他
足尾駅舎の北側にあるおよそ縦20m、横5mほどの細長い木造平屋建ての建物は、現在は使われていませんが、かつては貨物列車の停車場として使われていました。建設当時の建物とプラットホームが今も残っており、足尾銅山の貨物輸送を目的として開通された足尾鉄道にとって、重要な施設として活用されていました。‹わたらせ渓谷鐵道(株)発行パンフレットからの抜粋›
第一松木川橋梁の下流に架けられた田元橋から写したもので、田元橋の部材が写っています。この田元橋、現在は歩道橋として利用されていますが、元来ガソリンカーの軌道として造られたものです(上写真:2011/01/21)。
(38)第一松木川橋梁 (大正3年)
日光市足尾町字田元
足尾駅から下り線で約2分、間藤駅から上り線で約1分で見えはじめます。全長56m、上路式プレートガーダー形式の橋です。橋桁を支える橋脚は、今から百年以上前にイギリスの会社で使用されていたものを転用したもので、全国的に見ても残存事例の少ない橋です。‹わたらせ渓谷鐵道(株)発行パンフレットからの抜粋›
車窓の旅~鉄道文化財めぐり
わたらせ渓谷鐵道は、足尾銅山で算出される銅を運ぶために足尾鉄道として敷設された鉄道です。明治44年に下新田~大間々駅間が開通し、大正3年に桐生駅から足尾本山駅までの46.0kmの全線が開業しました
(現在の旅客営業は、桐生駅から間藤駅までの44.1km)。
その間、足尾鉄道株式会社⇒国鉄足尾線⇒JR足尾線⇒わたらせ渓谷鐵道と変遷してきましたが、開業当初に建設された鉄道施設が数多く現役で活躍しています。
その文化財的価値が認められ、駅舎や橋梁・トンネルなど、38の鉄道施設が登録有形文化財となりました
(上神梅駅は平成20年7月8日登録、それ以外の37施設は平成21年11月2日登録)。
明治⇒大正⇒昭和⇒平成と長い歴史を見守ってきた鉄道施設は、列車から全て見ることができます。列車に揺られながら、ふるさとの郷愁「ノスタルジア」を感じてみてください。‹わたらせ渓谷鐵道(株)発行パンフレットからの抜粋›