神子内川(みこうちがわ)
日光側から日足トンネルを抜けると、左手に見える川が、神子内川です。神子内川は国道122号と並行して、足尾町の各地区(神子内・野路又・芝の沢・渡良瀬)を流れます。
日光側から日足トンネルを抜けると、左手に見える川が、神子内川です。神子内川は国道122号と並行して、足尾町の各地区(神子内・野路又・芝の沢・渡良瀬)を流れます。
足尾には多くの川がありますが、最も親しまれている川は神子内川でしょうか。水遊びに適している個所も数多くあります。
左写真は川遊び。右写真はニホンザルの徒渉。
○ 神子内川の起点
日足トンネルを日光側から通過すると、すぐ右手に地蔵滝が見えます。
この滝上流の、北から流れてくる長手沢と、北西の方角から流れてくる手焼沢との合流点が神子内川の起点になります。
(写真:地蔵滝:2005/08/10)
♦樹影濃いなか溢れ落ちる地蔵滝
○ 神子内川の終点
国道122号に沿って流れきた神子内川は、渡良瀬地区で松木川と合流して、渡良瀬川になります。
右の写真では、左側から流れてくる神子内川と、大黒橋の下を流れ出た松木川が合流し渡良瀬川となり、写真の右上に流れていきます。
(写真:大黒橋から:2007/09/16)
♦渡良瀬地区で合流する神子内川と松木川
項目 | データ |
---|---|
水源 | 中禅寺湖南東岸尾根 |
水源の標高 | 1753 m |
水系 | 利根川水系 |
流域 | 足尾町地域 |
河口 | 足尾町渡良瀬地区で松木川と合流 |
日足トンネルを日光側から抜け、二つ目の橋(焼山橋)を渡ると、直ぐ右側に堰堤があります(写真:2004/08/16)。
この堰堤から道路を挟んだ東側には、地蔵坂経由細尾峠(旧国道122号)への分岐点があります。
♦細尾峠(旧国道122号)
栃木平橋から神子内川の流れのなかを上記堰堤まで遡行することは、楽しいことです。特に夏の木洩れ日のなかでの釣りは、気持ちが良いのです。
写真の橋は旧栃木平橋、奥の橋は現在使用されている栃木平橋です(写真:2013/03/06)。
♦遡行(そこう):渓流を登降すること
左写真の橋は、黒沢に架かる橋です。黒沢は、ここからすぐ神子内川に合流します。
"七曲がり" に通じる林道(神子内林道)は、この橋のたもとが起点で、黒沢の左岸に林道があります。
(左写真:2013/03/06)
右の写真は "神子内林道(昭和51年度起工)" の銘板で、林道途中に設置されています(右写真:2012/09/05)。
♦七曲がり :
日光中宮祠と足尾を結ぶ半月峠越え道の通過地点で、"七曲がり"を下ると足尾町深沢に至る。林道をそのまま北に直進すると日光中宮祠に達する。
⇒ 半月峠越え道の
"七曲がり"
"皇海荘入口" バス停前には神子内パーキングエリアがあります。トイレ等の設備のあるその一画に、安産地蔵尊・薬師如来像の安置されたお堂があります。
お堂の中には、かわいい御姿の「金 精 様」も、祀られています。
写真をマウスでロールオーバした時の写真が「金 精 様」です(写真:2013/07/02)。
♦お地蔵さまになった巫女(みこ) 足尾民話
1200年も昔の話。足尾の山々は厳しく険しいので神仏に仕える人達の修行の場であった。ある日、美しい巫女が更に難行苦行に耐えるため、細尾峠を越えようとしたが、にわかに腹痛が起き死んでしまった。その時、後に日光を開山した勝道上人が通り、巫女を哀れんで村人に地蔵尊を祀らせ、その地を「地蔵坂」とし村の名を「神子内」とした。村では代々地蔵尊を大切にしてきたが、明治の始め頃、水害で流され行方不明となっていた。ところが、近年偶然に姿を現わし、穏やかな姿で旅人の安全を祈っている。日光市 (現地案内板抜粋)
上記バス停留所から南東に続く道を進み、神子内川に架かる "輝水橋"(きすいばし)を渡り進めば、渡良瀬集落から地蔵坂の索道起点まで敷かれた、馬車鉄道の軌道の跡があります。
(左写真:小畑沢に残る石積み橋台:2008/12/29)
(右写真:上掲の石積み橋台に続く馬車鉄道軌道跡:2008/12/29)
昨夜積もった雪の上には、シカ(カモシカ?)
の足跡がありました。まるで人間が歩いたかのような、馬車道の中央に続くその足跡を見つけたとき、人間と共存している野生動物の存在を肌で感じた朝でした。
♦ 足尾馬車鉄道 :
明治23年(1890)に中央との物資輸送力を確保するために足尾と日光を隔てる細尾峠に架空索道が架設された。そして、両側の索道起点に馬車鉄道をつなげて交通路網が整備された。馬車鉄道の軌道はその後ガソリン軌道に転用され、昭和29年(1954)まで使用された。
♦ 馬車鉄道 :
軽便軌道上のトロッコを馬が引く輸送方法のひとつで、通常の馬車より走行上の摩擦が少ないため速度も速く、乗り心地も良く、また軌道上を走行するために舵取りも必要ないという利点を持つ。
♦馬車道の石積み橋台跡
かたぎり橋は、コンビニエンス-ストアの下流に架かる橋です(写真:2013/03/06)。
コンビニの裏を流れる神子内川に下りて、魚でも釣りましょうか。
♦神子内川での釣り風景
上記コンビニから道路を挟んで北東側には、旧神子内小学校があります。昭和59年3月23日、児童4名にて休校式を迎えたそうです。正門には、五線譜表記の扉が構えています。目を閉じ耳を澄ますと聞こえてきます。子供たちの歌声が(写真:2012/01/26)。
♦旧神子内小学校校舎に向かって伸びる樹木の影
旧神子内橋は柏木平地区を流れる神子内川に昭和9~10年ごろ(1934~35)架設されました。現在は新道ができた為、生活道路として利用されています。
鉄筋コンクリートアーチ橋で、アーチリブの上の縦長鉛直材の上部もアーチ形で、高欄も小さなアーチ型の窓が開けられています。この鉛直材の構造美と渓谷の自然美が調和し、互いに融合した美しさが感じられます。
(左写真:2007/11/17 ) (右写真:2010/09/04)
♦鉄筋コンクリートアーチ橋
♦アーチ形が美しい旧神子内橋
上記 "旧神子内橋"の東の方角にある柏木平の小道に面して、大磯(神奈川県)から移築された "陸奥宗光"の別邸 "豊潤洞"が
かつてありました(右写真:柏木平の小道:2008/8/12)。
左の写真は足尾歴史館に展示されてる "豊潤洞"の模型で、緻密に制作されています(左写真:2009/05/03)。
♦ 陸奥宗光(むつむねみつ):
勝海舟の神戸海軍操練所で学び、坂本龍馬の海援隊が組織されると、その中心人物として活躍した。明治期には、農商務大臣や外務大臣を歴任した。
写真の赤い橋は新神子内橋で、旧神子内橋の白い橋とは対照的な色合いです。しかし、構造的には旧神子内橋の仲間で、景観に優れた構造のアーチ系橋梁、トラスドランガー桁橋です。
(左写真:2007/09/16
) (右写真:2010/09/04)
旧足尾高等学校から南に進めば、野路又橋にでます。芝の沢集落跡へ続く道が、この橋のたもとから分岐しています(左写真:芝の沢から野路又橋を写す:2010/12/19)。
尾根に登り、西側の間藤が見下ろせて、東側の野路又をも見下ろせる稜線上から撮影した、野路又橋です(右写真:2013/08/28)。
上記 "野路又橋"の下流に位置する石造りの堰堤は、通洞発電所の水源として明治34年(1901)に造られました。
エメラルドグリーン色が美しい堰堤淵での釣り描写です(左写真:2004/09/12)。
この堰堤の左岸上部にある建物は、芝の沢浴場です。
(右写真:上部の建物が芝の沢浴場:2012/01/26)
田元交差点で右折すれば間藤駅方面へ、左折して中原橋を渡ればバイパスに抜けます。中原橋は神子内川の最下流に架かる橋です(写真:2013/03/06)。
交差点を直進すると左側に神子内川、右側には松木川が現れ、その松木川に架かる大黒橋を通過すれば、直ぐに新旧渡良瀬橋のたもとにでます。
写真右奥から流れてくる神子内川と、写真左奥の大黒橋の下を流れ出た松木川とが合流して渡良瀬川となり、写真の右手前に流れてきます。
写真は、新渡良瀬橋から上流を写したもので、手前の水路橋は上述の発電用水を通洞へ送るための橋でした。この水路橋は、渡良瀬川に架かる橋のなかでは最も上流に位置する橋になります(写真:2013/03/06)。
♦水路橋の鉄管上の親子猿
(現地案内板の一部引用)
ここから約150m上流渡良瀬川発祥の地
足尾銅山の深い歴史を共に歩んだ渡良瀬川、その名の由来は1200年の昔、日光を開山した勝道上人が修験の途次、この地に分け入り対岸に渡ろうとしたが、谷が深く流れが急なので、困っていたところ、ようやくこの辺りで浅瀬を見つけ無事に渡ることができたので、対岸の地を「渡良瀬」とし、川の名を「渡良瀬川」と命名したと伝えられている。以来、ここから約150m上流の、松木川と神子内川が合流する地点から下流を、渡良瀬川と称してきたが、昭和40年(1965)に渡良瀬川の起点は、松木川の上流に変更された。日光市