この写真のサイズ980x440です

松木川 渡良瀬川の源流

 松木川は「日本百名山」の中で紹介されている "皇海山(すかいさん)" を水源とし、中倉尾根の北側を流れる川を言います。
 本流の松木川は銅山の煙害に侵され、草木のない悲惨な状態になった渓谷を流れますが、皇海山・鋸山・庚申山を源とする豊富な水量からは、渡良瀬川源流としての風格が感じられます。
♦ 本ページでは神子内川との合流地点までを松木川と呼ぶことにします。

松木川概要

松木川と中倉山
(右写真:2011/01/21)
松木川
(左写真:2007/08/19)

 中禅寺湖南岸尾根一帯を水源とする久蔵沢と、庚申山を水源とする仁田元沢が「足尾砂防ダム」で 松木川に合流し、銅(あかがね)親水公園を右に見て流れてゆきます。
(左写真:三川合流地点:2007/08/19)
(右写真:松木川と中倉山: 2011/01/21)
♦三川合流点 (仁田元沢 ・ 松木川 ・ 久蔵沢 )
♦松木川と中倉山

「松木川六号ダム」のネームプレート

松木川六号ダム
(写真:1999/08/01)

 写真のプレート文字は、原小学校の児童による書です。
ダム完成: 平成6年8月
天端標高: 988メートル
高さ:14メートル 長さ:81メートル
(写真:1999/08/01)
♦ 松木川六号ダム:上流へ向かって左にあるウメコバ沢出合を過ぎ、黒檜岳(1976m)を水源とする三沢(三ノ沢)との出合地点にあるダム。

起点と終点

松木川
項目 データ
水源 皇海山(鋸山・庚申山)
水源の標高 2144 m
水系 利根川水系
流域 足尾町地域
河口 足尾町渡良瀬地区で神子内川と合流

 松木川は皇海山を源とし、神子内川と合流する地点までを言います。
 そして、松木川と神子内川が合流する地点から下流を、渡良瀬川と称してきましたが、昭和40年(1965年)に渡良瀬川の起点は、松木川の上流に変更されました。
♦ 国土地理院地図(電子国土Web)では、皇海山直下を水源 とする 松木川 と、黒檜岳(1976m)付近を水源とする三沢(三ノ沢)との合流地点から下流が、渡良瀬川と表記されています。
♦本ページでは勝道上人の時代から受け継がれてきた渡良瀬川の流域 ( 松木川と神子内川の合流地点から下流 ) を、渡良瀬川と呼ぶことにします。

松木川♦ 松木川と中倉山(写真:2016/01/28)

Ⓐ 松木川の橋

01. 銅橋(あかがねばし)

あかがね橋
(右写真:2007/08/19)
あかがね橋
(左写真:2007/08/19)

 ダム下流にある美しい斜張橋の銅橋を渡ればそこが親水公園です。平成8年に完成したこの公園には、「環境学習センター」があり、足尾の歴史、環境問題等が学べます。
 斜張橋のケーブルの張り方にはいくつかの方法がありますが、横浜ベイブリッジと同じ種類のファン型で、できています。
 また、橋のたもとに設置された親柱は、松木沢で採取した "庚申御影" の自然石で作られています(左右写真:2007/08/19)。
♦このサイトの表紙ページに掲載のタイトル背景画像は、この "あかがね橋" です。

アノード板
(右写真:2011/11/ 01)
あかがね橋の高欄
(左写真:2009/09/17)

 あかがね橋の高欄には、銅山のシンボル「アノード板」をモチーフに、足尾町の町獣ニホンカモシカと、町樹木シラカバの透かし彫りが施されています。これもまた足尾の地ならではの魅力的な景観を生み出しています。
(左写真:高欄の透かし彫り:2009/09/17)
(右写真:アノード板:2011/11/01)
♦アノード板:粗銅板のことで、本山(足尾)製錬所での完成品。電気分解の陽極板という意味で「アノード板」と呼ばれた。その形から「耳銅」とも呼ばれた。

あかがね親水公園
(右写真:2007/08/19)

 右の写真は足尾砂防ダム(三川合流ダム)の全景です。ここで松木川、仁田元沢、久蔵沢が合流します。
 4年5ヶ月の歳月をかけて、昭和29年に完成した砂防ダムは高さ39m、長さ204.4m、貯砂量500万立方メートルという大きさでした。水は7段に分けられて流れ落ちており、このダムによって下流の人々は水害や流砂の脅威から開放されました(右写真:2007/08/19)。
♦ニホンカモシカの陶壁画(足尾砂防ダム)

♫ 足尾砂防ダム ♬

あかがね橋♦あかがね橋 (写真:2007/08/19)

(現地案内板の一部引用)
銅(あかがね)橋
橋長:106.6m ・  最大支間長:73.0m ・ 有効幅員:4.0m
 レリーフは、銅山の象徴としてアノード板とよばれる銅板が設置されています。さらに、高欄にも銅風の仕上げを施しました。
 また、親柱には、松木沢のみで採取できる庚申ミカゲの自然石を用いました。

02. 古河橋

古河橋
(写真:2006/10/09)

 赤倉と本山をつないでいた直利橋(明治17年に架けられた木製の橋)が、明治20年に松木村の火災で焼失し、その跡に"古河橋"が明治23年(1890)12月に架けられました。
 日本国内では初期の道路用鉄橋の一つに挙げられますが、老朽化が著しく現在は通行禁止になってます(写真:2006/10/09)。
♦古河橋:渡良瀬川に架かる永久橋としては古河橋が最も古い。

古河橋のネームプレート
(写真:2007/08/19)

 直利橋の焼失で銅生産が停滞し、早急な永久橋への架け替えが生じました。この事からドイツのデュース バーグに存在したハーコート・ソサエティ(橋梁メーカー)製のプレハブ形式鉄橋部材が使用されました。各部材は組み立てが簡便なボルトナットまたはピン結合で六ヶ月余りの突貫工事の末、架設することができました。
(写真:古河橋の弦材に付いているネームプレート:2007/08/19)

古河橋
(写真:2010/02/21)

 古河橋は上弦が弓(ボウ)のような形状のボウストリング(弓弦形)構造の下路式トラス橋です。このタイプの橋は現在ではほとんど採用されませんが、この橋梁部材の手造り的な鉄の肌や、存在感溢れる鉄の シルエットは日本の近代産業発展の礎となった当時の土木技術に関する貴重な産業遺産なのです(写真: 2010/02/21)。

(現地案内板の一部引用)
古河橋(ふるかわばし)は、明治中期までに架設された道路用鉄橋として、原位置に現存する極めて貴重な橋で、足尾銅山の誇れる産業遺産である。 「古河橋」はドイツ・ハーコート社製で、同23年6月架設工事に着手した。12月28日に竣功させるという突貫工事であった。翌年には橋上に日本初の実用化した電気鉄道(単線)を敷設した。平成5年に「新古河橋」が下流側に架設されたので古河橋は歩道橋として残された。
日光市指定文化財(昭和56年12月1日指定)日光市教育委員会

♦間藤水力発電所跡(産業遺跡)に沿って流れる松木川

03. 第二松木川橋梁

間藤橋
(上右写真:2007/08/19)
間藤橋
(上左写真:2008/01/04)

 赤色の橋梁は、跨橋橋とでも言うのでしょうか。跨は、読んで字の如く、またぐの意味。線路をまたげば跨線橋、道路をまたげば跨道橋、写真のように橋をまたげば跨橋橋、ですから・・・、話を戻しましょう。
 赤色の橋梁は、第二松木川橋梁です。大正3年(1914)8月、足尾本山駅貨物線開通以来、製錬関連の貨物輸送を担ってきましたが、平成元年(1989)3月、製錬所の操業停止に伴ない足尾本山駅貨物線は廃止になりました。今は足尾銅山の遺構群の一つとして残っています。
(上左写真:間藤橋のたもとから:2008/01/04)
(上右写真:松木川から見上げる:2007/08/19)

第二松木川橋梁
(写真:2007/08/19)

 赤色の橋梁が第二松木川橋梁。交差する鉄筋コンクリート製のアーチ橋は間藤橋

04. 間藤橋

間藤橋
(右写真:2019/11/18)

 上掲写真のコンクリート橋と右写真が間藤橋です。
 昭和13年(1938)竣工、構造としては足尾のRCアーチ群(鉄筋コンクリート製で上向きの弧を用いた橋)の一つで上路造りです。現在は通行できません(右写真:2019/11/18)。

05. 第一松木川橋梁

第一松木川橋梁
(写真:2007/10/20)
第一松木川橋梁
(写真:2007/10/20)

 第一松木川橋梁は、大正3年(1914)全通開業した時点から現在まで、当時の状態で存在する大変貴重な橋梁です(写真:2007/10/20)。

♦諸元♦ 第一松木川橋梁
開通年月:大正3年(1914)8月26日
鉄道名・駅間:わたらせ渓谷鐵道 足尾-間藤間
所在地:栃木県足尾町
河川名:松木川
橋長・単複の別:56.45m、単線
径間数・支間長:2x22.250m、1x9.601m
形式:単線上路プレートガーダー、錬鉄製構橋脚
 「鉄(かね)の橋百選」 近代日本のランドマーク 成瀬輝男 編

06. 大黒橋

大黒橋
(写真:2007/09/16)
大黒橋
(写真:2007/09/16)

 勝道上人が大黒天と白ネズミの像を祀った洞穴のすぐ脇に大黒橋が架かっています。松木川は、この橋の下を流れてすぐに神子内川と合流します(左右写真:2007/09/16)。
 橋名を刻んだプレートのことを橋名板といいます。"橋名板"の取付位置は、路線(道路)の起点左側に漢字橋名、終点右側にひらがな橋名を記載するそうです。例外は勿論あります。もしかしたら例外のほうが多いかもしれません。
♦松木川と神子内川が合流して、渡良瀬川になります
♦大黒橋の袂にある勝道上人修験の場と波之利大黒天

Ⓑ 松木川の支流

07. 久蔵沢・ローソク岩

ローソク岩
(右写真:2012/02/28)
久蔵沢堰堤
(左写真:2006/05/03)

 久蔵(くぞう)沢は中禅寺湖南岸尾根一帯を源とする沢で、緑が復活した美しい渓流です(左写真: 2006/05/03)。
 "久蔵川一号堰堤" の対岸に、自然岩の記念碑(モニュメント)がたっています。
 それは高く直立した大きな石柱(オベリスク)で、下部の断面積より上部の断面積が広いこの石柱は、和ろうそくの雰囲気を持ち合わせています(右写真:2012/02/28)。
♦石柱、ローソク岩

ローソク岩
 久蔵沢の入り口近くにある。土が失われたため岩石が露出し、それが風化してこうなった。
(出典)「森よ、よみがえれ」 秋山智英 著

08. 仁田元沢(にたもとざわ)

ヤマメ
(写真:2006/08/27)

 仁田元沢は、庚申山付近を源とし源流の渓相を呈する樹影濃い渓流です。
(写真:仁田元沢中流部でのヤマメ:2006/08/27)
♦仁田元:湿地のある谷間の根元にある土地のこと。

ミズナラの大樹
ミズナラの大樹

 仁田元沢の河川敷に、ただ一本生きているミズナラの大樹があります。出水時は水に浸されると思われる過酷な場所で、孤高に生きています。
 掲載写真の左右の樹木は、同じミズナラの樹木です。
 (左写真:2007/05/03) (右写真:2009/09/17)
♦仁田元沢で生きるナラの木

09. 仁田元沢水管橋

仁田元沢水道橋
(写真:2008/10/25)

 三川合流地点の河川敷に、仁田元沢水管橋が、架設されています。絶えず大量の水を供給し健気に働いている橋ですが、外観は、さりげなく静かに横たわっているだけです(写真:2008/10/25)。

仁田元沢水管橋
(写真:2012/10/26)

♦仁田元沢に架かる橋は、工業用水を送る水管橋
♦松木川を挟んで "愛宕下"の対岸に位置する水管橋

仁田元沢水管橋
 足尾砂防ダム堰提から西に見える橋は、人や自動車が渡る橋ではなく、製煉所などで使う工業用水の水道管をのせる橋です。水源を松木川に求め、現在でも重要な工業用水を送る施設として使われている。
足尾町閉町記念「足尾博物誌」 発行/足尾町

Ⓒ 生物

10. トビ

トンビ
(写真:2008/10/25)

  松木ジャンダルムの脇を流れる松木川の上空から一羽のトビが急降下、そして上昇。獲物には、ありつけなかった様です。
 崩壊裸地での生命の営みを垣間見て、そして上空へ舞い上がったトビの黒い姿から、自然の中で生きる厳しさと威厳さが感じられました。
(写真:2008/10/25)

11. スズメバチ

横場山と仁田元沢水道橋
(右写真:2009/09/17)
キイロスズメバチ
(左写真:2009/09/17)

 仁田元沢水管橋の橋脚に、営巣活動真っ最中のハチの巣を見つけました。貝殻模様の外皮に覆われたボール状のキイロスズメバチの巣です。攻撃性が強く人を刺すことがあるので被害防止のため巣には近づかないでください。スズメバチによる死亡例は熊や毒蛇による数より、はるかに多いそうです。
 右写真は、横場山(1016m)と水管橋です(左右写真:2009/09/17)。