小滝地区
銅山裏山に存在した旧坑(江戸時代に掘られ、放置されていた坑道)を明治18年(1885)に取明けを開始、翌年「小滝坑」と名付けられました。坑名は、坑口の上流に小滝があったことに起因し、地名は坑名から採用されたそうです。
♦取明け(とりあけ):旧坑の修復をして改めて掘進すること。
銅山裏山に存在した旧坑(江戸時代に掘られ、放置されていた坑道)を明治18年(1885)に取明けを開始、翌年「小滝坑」と名付けられました。坑名は、坑口の上流に小滝があったことに起因し、地名は坑名から採用されたそうです。
♦取明け(とりあけ):旧坑の修復をして改めて掘進すること。
昭和29年(1954)、小滝坑の廃止に伴ない住人達はこの地を離れ、社宅は消滅し、庚申川流域に存在した花柄・文象などの集落もなくなりました。現在は庚申川沿いのこれらの地域を含めて、「小滝」と呼ばれています。
庚申川に架かる宇都野橋を過ぎると右手に庚申ダムが見えてきます。庚申ダムからは毎秒12.5立方メートルの水を足尾発電所(原地区)まで送水し、最大10,000kWの発電を行います(右写真:2011/04/28)。
庚申ダムを右手に見ながら更に小滝路を進みます。間もなくして
"古足尾橋" のたもとに到着します(左写真:2011/04/28)。
♦庚申ダムの "水鏡"
♦ 古足尾(こあしお):文象、花柄を含む地域の通称地名で、 "小さな足尾"
が古足尾の地名の由来。昭和29年(1954)に小滝坑が廃止になるまでの間、商業地として賑わった。現在は庚申川沿いのこれらの地域をも含めて小滝と呼ばれています。
♦文象地域:文象橋から古足尾橋までの地域。
♦花柄地域:古足尾橋から宇都野橋までの地域。
「古足尾橋」を過ぎ、道が右にカーブしている所の左手側に、平成3年10月完成の「小滝川六号ダム」があり、ダム湖の中には、立ち枯れした木々が見られます。その崖の上には「畑尾集落跡」があります(右写真:2011/04/28)。
畑尾(はたお)と呼ばれていたこの台地は、小滝製錬所から出たカラミなどの廃石で造成され、鉱夫社宅が建っていました。
現在は石垣と、対岸の往来に寄与した「畑尾橋」の基礎部分が残っているだけです(左写真:2011/04/28)。
♦晩秋の小滝川六号ダム
♦晩春の畑尾集落跡
小滝坑関係の銅山施設 (索道停車場、事務所
等)が撤去された跡に、小滝に関係した人たちの有志が、「ここに小滝の里ありき」と刻んだ記念碑を、昭和61年(1986)に建立しました(写真:2007/09/02)。
現在は小滝公園として整備され、小滝坑、住居跡、火薬庫跡、などから改めて当時を思い起こすことができます。
(現地案内板の一部引用)
昭和29年に小滝坑が廃止され、人々は思い思いに山を去ったが、盛んであった昔を偲び昭和39年に碑を建て、「小滝会」を結成した。
作詞:下山田辰吉
作曲:山田耕筰
歌詞と楽譜の彫りつけられた歌碑が、小滝の里に設置されています
(左写真、下掲楽譜:2007/09/02)。
小滝小学校は明治26年(1893)に銅山私立小の分校として開校され、大正8年(1919)には児童数1千人を超えましたが、昭和31年(1956)に廃校となりました。建っていた場所は、文象沢左岸にある長い石段を駆け上がった小高い台地の上でした。校門跡の直ぐ脇に、二宮金次郎の台座が残っています(右写真:2007/09/16)。
ヤマザクラは多くの場合、葉芽と花が同時に開き、幼葉は赤みがかっているため、遠目には花が赤っぽいように見えます。今年もまた、小滝の里独特の淡い春を、見ることができました(写真:2007/05/04)。
"小滝の里"北端の鉱盛橋から南端の馬立橋跡までの山際には、崩れたレンガ構造物、石段、石垣が残っています(写真:2007/09/02)。
小滝選鉱所があったところですが、スクラップ &
ビルドが繰り返され、土台石として現存するこれらの石垣は、選鉱所のほかにも様々な建物を支えてきました。
私の幼児期に、ここで映画を見た記憶がありますが、現地案内板から推測するに、その建物は昭和23年(1948)に建った"小滝会館"のようです。
♦小滝選鉱所:明治20年(1887)新設、大正9年(1920)焼失に伴ない廃止。
(現地案内板の一部引用)
製錬所・選鉱所跡
小滝坑が開坑され、この地に製錬所(明治30年廃止)・選鉱所(大正9年廃止)が設けられた。往時のレンガの跡が偲ばれる。日光市
小滝の里の対岸に夜半沢(やはんざわ)という名の沢があります。
庚申川に流れ込むその沢の両岸には、山裾を階段状に切り開いて造成した夜半沢集落がありました。
夜半沢の左岸にあった集落を北夜半沢集落、右岸にあった集落を南夜半沢集落と呼んでいました(写真:2011/03/30)。
♦階段状集落の鉱夫社宅跡
北夜半沢集落跡へは小滝の里を過ぎ、庚申川に架かる鉱盛橋を渡り、「坑夫浴場跡」から道をへだてた山側にある階段を上がれば、北夜半沢集落跡です。
庚申川で隔てられた小滝集落と夜半沢集落との往来には、このようにして鉱盛橋が使われました。写真奥の山中が集落跡です(写真:2011/03/30)。
足尾の中でも特に石垣が似合った集落は、夜半沢集落でしょうか。そして沢の左岸にあった集落を、北夜半沢集落と呼んでいました。集落には、山裾を階段状に切り開いて造成した鉱夫社宅がありました(写真:2007/05/04)。
坂道や石段がつづく道を、当時の人たちは何の苦もなく毎日の生活の場として使用していたのでしょう。
テニスコートの整地作業にでも使用したのでしょうか、グランドローラが残っています(写真:2008/10/04)。
庚申川に流れ込む沢の右岸にあった集落を南夜半沢集落と呼んでいました。
山裾を階段状に切り開いて造成した鉱夫社宅は取り壊されて、現在は北夜半沢社宅跡と同じように基礎部分のみが残っている状態です(写真:2000/11/23)。
夜半沢集落の南端には馬立橋(吊り橋)があり、南夜半沢集落への往来に利用されていました。橋の袂には明治22年(1889)に開設された小滝病院がありました。
集落の南玄関口として利用された馬立橋も、橋の袂にあった病院も取り壊され、今は基礎部分の一部が残るだけです。
写真では、中央の石積みが馬立橋の橋台、左後方の石積みが病院跡、右後奥に続く石段は南夜半沢集落のメーンストリートでした(写真:2011/03/30)。
小滝病院は、馬立橋の袂に造成した平地に、銅山医局分院として明治22年(1889)に開設されました。私が5~6歳の頃、親に連れられて二度ほどこの病院に掛かった記憶があります。
破損したビンが落ちていました。薬ビンの欠けらでしょうか(左写真)。
(左右写真:2008/10/04 小滝医局跡)
"足尾歴史館" 内には、色鮮やかで、さまざまな形の薬ビンが展示されています。
小滝の里を過ぎ、庚申川に架かる鉱盛橋を渡り、目の前の階段を駆け上がれば、北夜半沢と呼んでいた集落跡にでます。この集落の裏山が、象山(ぞうやま)です。そして、夜半沢で生活していた人々のふるさとの山でもありました。
(左写真:2009/01/18 小滝坑側から撮影した象山の東側)
(右写真:2011/03/30 小滝の里から撮影した象山の南側)
象山山麓には北夜半沢集落跡の石積み土台や、索道用トンネルが残っていますが、道路からでは周囲の木々に隠れて視認できません。
(左写真:2009/01/18 索道用トンネル)
(右写真:2009/01/18 北夜半沢集落跡)
♦このサイトの表紙ページ掲載の動画は、この "索道用トンネル" です。
銀山平側(象山北側)から 眺める象山中腹にはトンネル孔が見えます。
黒く見えるそのトンネルの孔はまるで象の目のようで、山全体が象のような風体です。
その景観から私は小学生の時、 "ゾウさん山"と呼んでいました(右写真:2009/01/18)(スケッチ画は象山のイメージ画です)。
真っ黒になって岩盤を掘る厳しい作業後の入浴は、必要不可欠の日課の一つでした。作業者は坑口浴場で身体の汚れを落としてから家路につきました。一日のなかで一番リラックスできる時間が得られたことでしょう。
浴槽は長円形で、外側と内側の二重になっています。内側は上がり湯になっていました(写真:2007/09/02)。
江戸時代に掘られ、放置されていた坑道を明治18年(1885)に取明けた小滝旧坑口です
(左写真:2007/09/02)。
数年後下流に開坑した大きな坑口を有する小滝坑を中心に銅山の施設と集落が形成され、大正年間には人口一万人余となりましたが、昭和29年(1954)廃止になり、集落は消滅しました(右写真:2007/09/02)。
♦取明け(とりあけ):旧坑の修復をして改めて掘進すること。
♦開坑 (かいこう):地下資源を開発するため坑口を設けて新しく坑道を切り開くこと。
♦小滝坑に架かる旧小滝橋
小滝坑対岸の岸壁には、削岩機の具合を調べる為や、練習の為にあけられた穴の跡があります
(左写真:2007/09/02)。
この岸壁は象山(ぞうやま)下部の岩盤で燕岩と呼ばれ、坑内で使う火薬を一時保管する場所でした(右写真:2007/09/02)。
小滝地区を代表する滝といえば小滝坑跡の上流に位置する "小滝の小滝" でしょう。道路沿いにあるので簡単に見られますが、のぞき込む時は注意を怠ると思ったより危険かもしれません。
(右写真:からだをのりだして写す 2007/09/16)
(下掲写真:川に下りて写す)
‹ 足尾銅山百選 足尾楽迎員協会編 抜粋 ›
小滝の小滝
山岳橋を渡り、通称、象岩の大曲という、大きなカーブがあります。ちょうどその下に小さな滝がありますが、この滝を 「小滝の小滝」 といい、小滝の地名の由来となっています。
‹ とちぎの地名 塙 静夫 落合書店 抜粋 ›
小滝( こだき )
足尾町小滝。庚申山道沿いの地域で、渡良瀬川の支流庚申川流域に位置する。明治7年に足尾村銅山裏山といわれ、同19年に当地の銅山開発に着手すると、新坑口を小滝坑と命名した。坑名は小滝があったことに由来するという。だが何となくすっきりしない地名である。
コダキ(小滝)は、コ(接頭語)・ダキという地名であろう。ダキはタキの濁音化で、懸崖から激しく流れ落ちる水、滝を意味するが、ほかに、タケ・ダケと同じく、山腹の急傾斜地とか絶壁・崖を意味する。地名は付近の地勢から考えて、岳・嶽と同じ意の急崖地に由来するといえる。
小滝の小滝を過ぎ"銀山橋"を渡れば"銀山社宅跡"に出ます。明治42年(1909)に造られた当時は "銀山平長屋"
と呼ばれていました。当時は140戸の社宅があり、最盛期には200人程の人が製材所で働いていました。
昭和14年(1939)に廃止になりました。現在は建物の基礎の石積みが残っているだけです(写真:2015/05/03)。
猿田彦神社は、明治23年(1890)に小滝坑の山神社として坑夫により建立されました。昭和29年、小滝坑廃止のときに、奉祀する三神を本山山神社に合祀した後、猿田彦神社の遥拝殿となりました。今は三尊像を祀る庚申山荘内小祠が本殿です(写真:2009/07/05)。
まわりを自然林に囲まれたキャンプ場は、国民宿舎「かじか荘」の下方にあります。キャンプ設備 (炊事場は勿論、キャンプファイヤーやバーベキュー設備)
が完備されており気軽にキャンプが楽しめます。写真のバンガローの裏側には庚申川が流れ、川遊び、魚釣りもできます(左写真:2007/05/05) (右写真:2011/05/04)。
♦銀山平キャンプ場
♦キャンプ場からの散策 "小滝川ダム"
銀山平と小滝を索道で結ぶときに、立ち塞がった象山の山越えが困難なため、山腹を掘って鉄索を通しました。
穴掘りなどは朝飯前の足尾銅山ならではの発想なのでしょう。ちなみに足尾では索道のことを鉄索と呼んでいました。私の小学生時代、有越山の索道は稼働しており、私もテッサクと呼んでいました。
(写真:2009/01/18 象山下側トンネル内から、小滝の里方面を撮影)
♦このサイトの表紙ページに掲載の動画は、この "索道用トンネル" です。
象山の山腹を南北に貫くトンネルは、上側(北側)のトンネル、下側(南側)のトンネルに二分されています。これらのトンネルを通過して小滝⇔銀山平をつなぐ総距離1,180mの索道は第10索道といわれ、1902年(明治35年)に架設され、廃石、製材品を運搬しました。
(写真:2009/01/18 象山上側トンネル内から、銀山平方面を撮影)
♦第10索道:第1索道(細尾⇔地蔵坂)から数えて10番目に架設されたので小滝索道を第10索道(小滝⇔銀山平)と称した。
右の写真は象山の中腹にある急峻で狭い谷間での撮影です。この谷間でトンネルは上下に分断されています。
写真右下の孔は下側のトンネルです。全長約90m、約17度の急勾配で小滝方面に通じています。写真左上の孔は上側のトンネルです。全長約40m、傾斜がなく水平で銀山平方面に通じています。両トンネルとも通路の広さは、目測で高さ3m、幅4.5mです(写真:2009/01/18)。
♦足尾の架空索道:コークスや粗銅の輸送手段として明治23年(1890)に、細尾と地蔵坂を結ぶ約4km弱の距離に、架空索道が架設された。当時、索道支柱は木製で、架線には鋼索が用いられ、動力源として15馬力の蒸気機関が地蔵坂に据え付けられた。それ以降、ハリジー式、ハドソン式、ブライヘルト式などが採用され架設された。
高い山々に囲まれた山岳地帯では平地が少なく道路の建設や、軌道の敷設は困難です。このような地域での輸送手段として、架空索道ほど優れているものはないでしょう。その索道が縦横に張り巡らされた足尾は、あたかも
"空中都市"
のような状況を呈していたのではないでしょうか。
なお、明治・大正での、足尾の索道稼動状況は、おおよそ索道開設地23区間で、延べ索道長は66kmにも達したようです。
♦架空索道(ロープウェイ):空中に索条(ワイヤロープ)を架け渡し、これに貨物又は旅客を懸吊し運搬する装置のことをいう。アメリカ人のハリジー氏、イギリス人のハドソン氏、ドイツ人のブライヘルト氏、等の技術者が考案改良した。
さらには、生産の原点である地中採掘場は、たえず深部へと移行し、足尾銅山400年の歴史において堀り開いた坑道の長さを合計すると1234km(東京~博多間)に達するそうです。
採掘深さは、備前楯山山頂付近から約1100mの深さまで採掘され、さながら "地底都市"
のような状況をも呈していたのでしょうか(写真:2016/12/11)。