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松木ジャンダルム・森の番人(中倉山北壁)

崩壊裸地となった松木渓谷

 明治35年(1902年)に廃村になった松木村跡の、上流・下流に連なる渓谷が松木渓谷です。

松木渓谷概要

 それまでは緑豊かな山だったが、煙害や山火事などで木はまったくない鋭い岩峰の山並になってしまいました。 現在は足尾荒廃地の復旧・緑化事業により足尾砂防ダムの周りの山々に緑が戻ってきています。
 松木村跡への出発点は三川合流点・足尾砂防ダム(銅親水公園)で、そこから北西に松木川沿いを溯上します。

三川合流点

三川合流点
松木尾根から撮影(写真:2017/08/24)

 写真中央のタワーは、あかがね橋。奥のタワーは製錬所の大煙突(46.9m)。
 手前から奥に流れる3本の川は、左から久蔵沢、松木川、仁田元沢。
 この三川合流地点が三川合流ダムとも呼ばれる足尾ダム
 足尾砂防ダムの計画貯砂量500万m³は既に超え、草木が生い茂っている。

Ⓐ 公園から松木村跡まで

01. 銅親水公園

足尾環境学習センター
銅橋と足尾環境学習センター
あかがね親水公園
銅親水公園

 あかがね親水公園は、足尾砂防ダムの南側にあり、ダムに架かる あかがね橋 を渡ると、眼下には足尾を紹介する施設 足尾環境学習センター があります(左右写真:2010/05/03)。

あかがね橋
(右写真)銅橋
陶壁ニホンカモシカ
(左写真)ニホンカモシカの陶壁画

 右写真は銅親水公園に架かる あかがね橋 で、橋長106.6メートルの斜張橋です。
 このサイトの一部のページに掲載のタイトル写真は、この あかがね橋 です(右写真:2002/04/29)。
 公園には約2,000枚の足尾焼陶板を使用して造られた ニホンカモシカ の陶壁画があります。大きさは縦15メートル、横25メートルで平成4年12月に完成しました(左写真:2007/08/19)。

ニホンカモシカの陶壁画
(写真:2010/02/21)ニホンカモシカの陶壁画

02. わたらせ川源流の碑からの風景

幅586ピクセルわたらせ川源流の碑
"わたらせ川源流の碑" からの風景(写真:2011/01/21)

 掲載写真は、仁田元川 · 松木川 · 久蔵川の三川合流地点に建つ、わたらせ川源流の碑 からの撮影です。

03. 松木川に沿って進む

スーパーキャリア
(右写真)スーパーキャリアのレール
松木川
(左写真)松木川の河原

 銅親水公園駐車場先の、車止めゲートから歩き始めましょう。
 久蔵川に架かる橋(標高点750m)を渡り、前方の松木尾根末端を左から回り込むと、目の前に松木川の河原が開けてきます(左写真:2011/02/04)。
 右手斜面 (松木川左岸) には、山腹工事用輸送機スーパーキャリアのレールが、目に飛び込んできます(右写真:2011/02/04)。
♦標高点750mからのパノラマ
♦松木川左岸スーパーキャリア

04. 崩壊裸地

砂防ダム
(右写真:2008/10/25)
砂防ダム
(左写真:2008/10/25)

 松木川付近は、煙害で草木が全くなくなってしまいました。
 崩壊裸地となった松木川右岸には、土石流等を防止する谷止工(たにどめこう)というミニダムが階段状に設けられている風景が見られます(左右写真:2008/10/25)。
♦松木川と中倉山

05. カラミ(鍰)の山

鍰の堆積場跡
(右写真:2005/04/30)
旧松木村
(左写真:2008/10/25)

 スーパーキャリアから400メートル程歩いて行けば、旧松木村跡の開けた場所に出ます。
 松木村跡には、カラミの山があるだけです。煙害に苦しめられた住民は、明治35年(1902年)には雪解けを待ち、それぞれ村を立ち退きました。左右写真の風景は、製錬過程で発生したカラミの堆積場跡です。
♦カラミの山
♦鍰(からみ): 製錬により鈹(かわ)と、かすに分離する。このかすを鍰あるいはスラグという。

06. 松木村跡

旧松木村(松木沢ヘリポート)
(写真:2009/10/12)中倉山から旧松木村跡を撮影

 旧松木村跡(松木沢ヘリポート)までは、銅親水公園駐車場から、約3kmの道のりです。
 西南の方角に位置する中倉山から、旧松木村跡を見下ろすと、南米ペルーにある "ナスカの地上絵" を思わせる光景が、眼下にひろがっていました(写真:2009/10/12)。
♦冬青空の松木村跡

07. ヘリポート

石の祠
(右写真)石の祠
松木沢ヘリポート
(左写真)緑化作業時に使用する物資の保管倉庫

 この松木沢ヘリポート(日光森林管理署)辺りが旧松木村の中心部だったのでしょうか。
  左写真の建物はヘリコプターを使用する航空緑化作業の時に撒布する種子や肥料等を、一時保管する為の倉庫です(左写真:2011/01/21)。
♦松木沢ヘリポート跡
 ヘリポートの東隣には、おそらく建てられた当時そのままの、小さな石の祠があります。そこに刻まれた文字は読み取ることができませんでしたが・・・(右写真:2011/01/21)。

<パンフレット 「足尾まち歩き」 からの引用>
石の祠は 「文化9年3月吉日」 とあるよ
えーとつまり1812年…約200年も前のものなんだ

08. アキグミ

アキグミ
アキグミの実

 上記で、松木村跡は、カラミの山があるだけですと、表現しましたがオットドッコイ、たわわに実った生命感あふれるアキグミの木がありました(写真:2008/10/25)。
 アキグミは10月頃に赤褐色に熟し、その実は小さくて渋いが食べられます。日当たりのよい川原や原野に群生することが多いそうです。グミの仲間は、根に共生菌類を持ち、空中窒素を固定する能力があるので、このような荒れ地でも生育できるのでしょう。

" はげ山の松木村跡秋の茱萸 " とおる
(はげやまの まつきむらあと あきのぐみ)

09. ニホンジカ

防護ネット
(右写真)
ニホンジカ
(左写真)

 ここ松木に限らず足尾には多くのニホンジカが生息しています。
 これらは私たちにとって、なじみ深い動物なのですが、有毒な植物を除き、ほとんどの草木の芽や葉、ササ、果実などを餌とし、餌の乏しい冬季には樹皮をも食う動物なのです(左写真:2011/01/21)。
 これらシカの食害から、植樹された若木を守るために、防護ネットで木の幹を写真のように囲みます(右写真:2011/02/04 防護ネットで囲まれたブナとクマシデの木)。
♦ニホンジカの群れ

10. 奥松木村跡

奥松木村跡
(写真:2011/02/04)

 松木ジャンダルムが間近に見えるこの辺りが、廃村松木のなかでも、最も奥に位置した所なのでしょう。その小高い丘の上には、墓石が寄り添って立っていました。
♦旧松木村北西端にて

‹ 現地案内板からの抜粋 ›
"山と心に木を植えよう"
   足尾ふるさとの森づくり
 今からそれほど遠くない昔、このあたりには古くから続く豊かな村里がありました。当時足尾でもっとも大きな村の一つ、松木という村です。今では家の跡すら残っていませんが、江戸時代後期の記録では37戸170人もの村人が支え合って生活をしていたといいます。(中略)・・・
 この村の生活が一変するのは、足尾銅山が近代的な鉱山として本格的に稼動しはじめて、わずか数年後のことでした。(中略)・・・
 私たちの願いは、かつて村を支えてきた自然を取り戻し、足尾の森が再び豊かな恵みをもたらしてくれることです。そして、公害の原点といわれているこの地を、森と生きる生命の地に蘇らせていきたいと願い、山と心に木を植え続けています。
 2009年5月30日
  NPO法人 森びとプロジェクト委員会

Ⓑ 松木ジャンダルムから上流の風景

11. 松木ジャンダルム

松木ジャンダルム
(右写真:1999/07/25)
松木ジャンダルム隣の沢
(中写真:2008/10/25)
松木ジャンダルム
(左写真:2008/10/25)

 銅親水公園駐車場から松木ジャンダルムまでの区間距離は約4km、所要時間は1時間位かかります。
(左右写真:松木ジャンダルム)
(中写真:松木ジャンダルム隣の涸沢)
♦松木村跡の風景

12. これより先注意

松木渓谷
(右写真:2011/02/04)
崩壊裸地での落石
(左写真:2008/10/25)

 松木ジャンダルムの先は、"崩壊裸地"の為、進入するには、あまりにも危険過ぎます。
左写真:落石に埋め尽くされた林道
右写真:松木ジャンダルム先の渓谷
♦崩壊裸地 : 亜硫酸ガスにより植生が衰退した結果、表土が流出し、基岩の崩壊崩落が発生している。

13. 松木岩峰群

松木渓谷
足尾松木渓谷の岩峰群(写真:1999/07/25)

 掲載写真は北アルプスの名峰、奥穂高岳や、前穂高岳をも連想することが出来る足尾松木渓谷の岩峰群です。

Ⓒ ハゲ山地域

14. 足尾の治山・治水事業

崩壊裸地
現地看板

 右の写真は、現地案内板 「足尾の治山・治水事業」 で、灰色部分が荒れた地域を、赤点は製錬所を示す。特に荒れた地域は松木川、仁田元沢、久蔵沢、出川等の沢筋です(写真:2008/10/04)。

(現地案内板の一部引用)
 足尾の山は山火事や製錬による煙害で、松木川沿い等の沢筋は緑を失いハゲ山になりました。このため、銅山や国、県により防災対策が続けられ、草や木を植える緑の山づくりの治山事業や土砂災害を防ぐ砂防事業が行われています。

♫ 松木渓谷 ♬

◎ 本ページの作成に当っては下記文献を参考にさせていただきました。記して深謝申しあげます。
  • 川田勉(2005)『松木ものがたり』足尾映像企画
  • 栃木県史編さん委員会(1984)『栃木県史 通史編8 近現代三』栃木県