赤倉山(1442m)
赤倉山は北に位置する半月山から南北に連なる尾根筋の南端に位置する。 銅山の煙害に侵されたが、現在は樹林地帯が広がり、新緑や紅葉の景色を見る事ができる。
赤倉山は北に位置する半月山から南北に連なる尾根筋の南端に位置する。 銅山の煙害に侵されたが、現在は樹林地帯が広がり、新緑や紅葉の景色を見る事ができる。
赤倉山の西側の道
足尾から阿世潟峠を経て中禅寺湖南岸に通じる街道は、中禅寺路といわれていました。延暦九年(790年)、足尾郷が日光中禅寺領になった当時から、峠道として利用されてきたのでしょう。
赤倉山の東側の道
大正9年(1920)阿世潟峠道に代わって、深沢をさかのぼり半月峠を越え、中禅寺湖南岸の狸窪に至る道が、新しく開かれました。幹線道路として昭和前期まで利用されました。
赤倉山は北に位置する半月山から南北に連なる尾根筋の南端にあたる。
久蔵沢の左岸に位置する為、銅山の煙害に侵された松木川流域部と同様の影響を受けたが、現在は樹林地帯が広がり、新緑や紅葉の景色を見る事ができます。
(左写真:2007/11/17 有越山付近から写す)
(右写真:2012/09/05 神子内林道から写す)
日光の中宮祠と足尾の間藤を結ぶ二本の峠道、つまり久蔵沢に沿って歩く阿世潟峠道と、深沢に沿って歩く半月峠道に挟まれた山、それが赤倉山(1442m)です。
写真では、男体山手前の稜線の二つの鞍部(コル)がその峠で、左が阿世潟峠、右が半月峠です(写真:2009/11/08)。
赤倉山直下の下桐久保沢(写真左側の沢)の南にある崩壊の激しい赤倉山南西面(写真右側)では、土砂災害を防ぐ為の山腹工事が現在も行われています(写真:南西の方角から見た赤倉山:2010/03/31)。
上記のように赤倉山西面は崩壊が激しいので、赤倉山東面(深沢)からの登山が主になります。赤倉郵便局の先にある「南橋バス停」を右折して、深沢林道に入ります。
1.3km程進むと林道終点で、5~6台駐車可能な空き地がありますが、一般乗用車では悪路のため要注意。空き地からは、左下を流れる深沢を渡り、沢沿いの道(右岸)を進みます(写真:深沢に残る石積み橋台:2011/11/22)。
空き地から50~60分歩くと、石垣、灯籠、そして無人の「深沢雨量観測所」にでます(右写真:2008/01/20)。
石垣手前の涸沢沿いに、何本もの幹が連立して生えているカツラの木がありました。写真のように岩の上でも、けなげに生きています
(左写真:2011/11/22)。
カツラの木の生えている上方に、苔むした石仏(鉄筋コンクリート製)が二体、建っています。右の写真をマウスでロールオーバした時の写真がその石仏です。それぞれの仏像の持ち物は、蓮華の花、および宝剣かと思われます(
ロールオーバ右写真:2012/04/30 )。
♦半月峠道 : 日光中宮祠と足尾を結ぶ半月峠越えの道が開通したのは大正9年のことで、幹線道路として昭和前期まで利用された。その当時営業していた茶屋のひとつが
"一の茶屋(初の茶屋)"で、石垣や灯籠の残っている上記の場所が跡地である。
⇒
深沢から半月峠へ
それでは、山頂目指して歩きはじめましょう。 "一の茶屋跡"手前の尾根が、今回の取り付き点です。尾根の側面から登ります。
尾根側面の急勾配を上がると、山頂に続くはっきりした尾根に乗ることができます(写真:2013/05/14)。
一面笹と雪で覆われた山頂は、ナラの立ち木にくくり付けられた "山頂名板" が目に留まらなければ頂上とは分からないほど平らでした(左右写真:2008/01/20)。
登りは急勾配の続く尾根筋の道ですが、頂上近くでは笹の群生する穏やかな斜面に変わります。笹の背たけがあまりありません、鹿にでも食われてしまったのでしょうか。頂上付近の高原地帯の笹も同様に背たけがありません(写真:2012/04/30)。
とうに立秋は過ぎたのに、今年も街では残暑がきびしいです。そのなかで、山頂の木立ちを吹き抜ける風は、私の気分をさわやかにします。
半年前(2012/04/30)に比べ、山頂に茂る笹の背丈は、膝下から膝上までに生長していました(写真:2012/09/05)。
赤倉山頂に至る南東の方向からの尾根道を登りきると三等三角点が足下で出迎えてくれました(^o^)/
。
しかし、正面の立ち木にくくり付けられた"山頂名板"に気を取られると、設置されている柱石に気がつきません。
実際のところ、私は4度目の登頂で三角点にめぐり会えました (-_-;)。(写真:2013/05/14)。
赤倉山の頂上付近は、なだらかで開けた放牧場の雰囲気が漂う笹原です。笹の背丈は さほど高くなく股下程度なので快適に歩けます(左写真:2008/01/20)。
ダケカンバの木を前景に男体山を撮影(右写真:2008/01/20)。
頂上付近から北東の方角を写す。最遠景の山は男体山、その右前で頭をすこし出している山が半月山です。近景は赤倉稜線の山並です。
(写真:2012/04/30)
今年の4月に来たときは低かったのに、わずか5ヶ月足らずで笹の背丈が腰まで生長していました。踏み跡道は笹に埋め尽くされ、わずかに残る踏み跡は頼りなく、笹藪を掻き分け歩くには閉口しました(写真:2012/09/05)。
遠景は、県界稜線。左から袈裟丸山、鋸山、皇海山が横たわります。
奥から手前へと延びる尾根は、中倉尾根。庚申山、オロ山、沢入山、中倉山の各ピークが連なります(上写真:2013/05/14)。
遠景稜線の中央にそびえる二つのピークのうち、左は夕日岳で、右は地蔵岳です。稜線左端のピークは薬師岳(上写真:2013/05/14)。
山頂南西の肩から、西の方角を見てみましょう。右奥が皇海山、手前中央に中倉山が、その奥に沢入山、オロ山、鋸山と山並みが続きます。(右写真:2008/01/20)
(上写真:2008/01/20:大平山、黒檜岳・社山稜線)
赤倉山(1442m)⇐⇒ 足倉沢源頭(1511m)
下掲写真の左端に位置する赤倉山(1442m)を起点とし、尾根上のピークをたどりながら足倉沢源頭(1511m)までを歩きます。
♦赤倉稜線 : 南端の赤倉山から北端のピーク1511までの稜線をいう。と、かってに呼んでます。
ピークの数は南から順に、赤倉山(1442) ↔ ピーク1430(北峰) ↔ ピーク1410(北東峰) ↔ ピーク1400(三叉路) ↔
大畑山(1446) ↔ 茨倉山(1514) ↔ ピーク1511(足倉沢源頭・見晴茶屋跡)の7ピークあります。
♦上記山名の確認に当たり参照した主要な地図を、次に記します。
◎足尾町地図 (昭和30年 足尾町製)
赤倉山頂から二つのピークを越し、三番目のピーク 1400mを越えるときは、注意が必要です。なぜなら、道なりに直進すると東の方角に下ってしまい、沢
(七曲がり付近)に出てしまいます。
目的の大畑山は、北の方角に位置するので、このピークでは左に折れて、北の方角に進みます。つまりピーク1400 は、"大畑山" 及び
"七曲がり" への分岐点です(上掲左右の写真は、ピーク1400m地点)。
(左写真:2012/04/30) (右写真:2012/09/05)
笹で覆われた小さな丘を想わせる山頂です(写真:2012/09/05)。
"山頂名板" のない頂上ですが、1本の等高線が まるく閉じている明瞭な山頂なので、何の迷いもなく直進すれば、まもなく茨倉山です。
一面笹で覆われた山頂の真ん中には、木が一本立っています。もちろんその木には "山頂名板" は付いていませんが、2本の等高線が まるく閉じている明瞭な山頂です。
(左写真:2012/09/05 茨倉山(1514m)山頂 )。
(右写真:2012/04/30 神子内治山林道から茨倉山眺望)。
茨倉山を越して下り、登りにさしかかる辺りで、足倉沢源頭の崩落地が、左側に現れました。踏み跡道をはずれて笹藪を掻き分け、シャッターを切りました(写真:2012/09/05)。
笹で覆われた登山道と、カラマツに遮られた木漏れ日の斜面を登りきると、ピーク1511を終点とする林道に出ました。林道を北の方角に5~6分進むとピーク1511に着きますが、"ピーク1511"
は足倉沢源頭及び見晴茶屋跡でもあるのです。
(上写真:2013/05/14 アカヤシオと足倉沢源頭崩落地)
雨水によって稜線直下の山腹まで、えぐり取られてしまいました。
(上写真:2013/05/14 足倉沢源頭崩落地)
足倉沢源頭の崩落地(ガレ)です。雨水によって稜線直下の山腹まで、えぐり取られてしまいました。恐る恐る谷底を覗き込んで、シャッターボタンを押しました(写真:2011/10/09)。
♦足倉沢源頭の崩落地
上記、足倉沢源頭崩落地の東側には、かつて"見晴らし茶屋"があったそうです。
右の写真は、その "見晴らし茶屋跡"から見た、西方向の風景です。
中倉山、沢入山、オロ山の手前を流れる川は、皇海山を水源とする松木川です(写真:2011/11/22)。
♦見晴らし茶屋跡から西北西の方角を撮影
♦ 峠の茶屋の娘さん(昭和3年(1928)生まれ)の、回想文 ♦
・・・峠の入口(現在の上間藤浴場)には木造三階建ての栃本屋旅館があり、この道の人の往来は大変な数でした。峠までには一の茶屋から五の茶屋(富士見茶屋)まであり母は四の茶屋(見晴らし茶屋)をやっておりました。この茶屋は、七曲がりの急坂を越えた所にあり、七曲がり前の三の茶屋と共に繁盛していましたが、水の便が悪く、水汲みが大仕事。・・・私たち姉妹も、小学校の時から仕事の手伝いをしました。夏休みには、パンやおせんべいをブリキの一斗缶に入れて、茶屋まで運び上げました。ですから夏休みは、嬉しくもあり、また、チョッピリ気の重いものでもありました。「町民がつづる足尾の百年」 『明るい町』編集部 からの抜粋
一の茶屋跡および雨量観測所を過ぎてから、深沢に下りると滝があります。急斜面なので注意して下りましょう。滝は二段で全面凍結で、滝壺も全面氷が張って歩行可能でした。
(写真:2008/01/20)
深沢雨量観測所の位置
(緯度 北緯36°40′22″)
(経度 東経139°28′11″)
♦深沢の大滝 "十丈滝"
松木橋からキャン沢上流の山なみを撮影しました。山肌から樹木がなくなり露出した岩と、がれきがそのまま直下のキャン沢に落ち込んでいました(写真:2008/10/04)。
銅(あかがね)親水公園の北側で、H20松木山腹(久蔵)工事が行われています。写真の右上空に見える物体は、土砂災害を防ぐ為の山腹工事用のケーブルクレーンで、資材を運搬しています。
山腹工事現場は赤倉山西面で、現在は基礎工事段階でロッククライミングマシーン(RCM)で、崩れやすい石や土砂を安全に撤去する法面(のりめん)掘削作業が行われています(写真: 2009/09/17)。
‹ 現地案内板の抜粋 ›
山腹工事の説明
工事名 … H20松木山腹(久蔵)工事
工事期間 … 平成20年9月23日~平成22年3月6日まで
松木地域は、渡良瀬川の源流に位置した、全国でも有数の規模を誇る砂防山腹工事です。
この砂防事業は、足尾銅山の製錬に伴う煙害や山火事などによって荒廃した山地から、大量の土砂が流れ出し、多くの土砂災害を引き起こした事を機に、昭和12年に着手されました。
その後、昭和22年のカスリーン台風による大災害を契機に事業は拡大され、松木川、仁田元川、久蔵川などに足尾砂防えん堤をはじめとする多くの砂防施設を施工しています。