舟石林道 山神社の麓を歩く
舟石林道は、古河橋から庚申渓谷林道までの全長約6.5kmの区間で、開設は昭和57~59年です。
一般的に、どこの林道でも雪どけ時期は落石処理が未実施ですので十分に注意して走行いたしましょう(表紙写真:2008/03/30)。
林道には、産業遺産・神社・舟石峠・備前楯山登山口があります。
舟石林道は、古河橋から庚申渓谷林道までの全長約6.5kmの区間で、開設は昭和57~59年です。
一般的に、どこの林道でも雪どけ時期は落石処理が未実施ですので十分に注意して走行いたしましょう(表紙写真:2008/03/30)。
林道には、産業遺産・神社・舟石峠・備前楯山登山口があります。
残雪が見られるこの時期の樹木は、まだまだ丸坊主です。
そんななか備前楯山登山口付近で、すがすがしい青空を背に金色に輝く樹花が目に飛び込んできました(写真:2003/04/13)。
産土(うぶすな)神社碑、明治31年建立(写真:2008/03/30)。
明治19年に群馬県花輪村の人が、この地を開畑し、農業が行われたそうです。今は、畑の跡がわずかに残っているだけです。
♦ 産土神(うぶすながみ):その人や一族が生まれた土地の守護神。石碑に刻まれた文字は、「産土」を略したもの。
備前楯山に登ろうと、舟石林道走行中のことでした。
前方で車が止まって、人が立っています。私も車から降りて見ました。背中を丸くかがめたアナグマが、道をふさぐように路上の中央でうずくまっています。
病気のため動けないのでしょうか、目が見えないようです。路上脇にアナグマを移し、そこを通過しました(写真:2009/11/08)。
" 鷹の巣 集落跡 " に、清水のわき出る水場があり、その上部に水神宮碑があります。
現地案内板によりますと、古河市兵衛が足尾銅山の経営を開始する以前の明治6年に、水神宮碑が建てられたようです。しかし、石碑の裏に刻まれた文字は、「大正五年之秋再建 有志」と読み取れます。
おそらく、集中豪雨に見舞われて水神宮碑が流されたので、新たに石垣を造り水神宮碑を再建したのでしょう(写真:2008/03/30)。
♦水神宮碑と鷹の巣坑 :
出川支渓の急傾斜地にある"鷹の巣坑"の採掘を請負っていた斉藤八郎は、銅山師として水害による山腹崩壊防止を祈願し、水神宮碑を建てたのでしょう。明治14年、古河は斉藤八郎から"鷹の巣坑"採掘権利を譲り受け、ここから近代足尾銅山が本格的に始動しました。
♦ 石積み谷止工に誘導された雨水は、底や側壁が浸食されないように石を敷き詰めた直線状水路(石積み流路工)を流れ落ち、出川に合流します。
写真右端に水神宮碑が写ってます(写真:2010/03/31)。
‹ 現地案内板からの抜粋 ›
♦水神宮碑: 古河市兵衛が足尾銅山を経営開始(明治10年)する以前の、明治6年に、銅山師(やまし)斉藤八郎が建てたものである。(この沢を約40m入ったところ) 日光市
地名の由来となった舟形の石が舟石峠の駐車場にあります。
以前は峠下の道路脇にありましたが、駐車場造成後現在の位置に移されました(写真:2009/11/08)。
この駐車場(50~60台駐車可)は、備前楯山(1272.4m)の登山口として利用されています。
山腹の傾斜地には段々畑の痕跡が残っています(写真:2008/03/30 )。
♦ 舟石峠駐車場から、1時間前後で頂上に着きます(写真:2011/05/15)。
♦ 備前楯山 山頂からの眺め。写真の中央が舟石峠(駐車場)です。林道を右に下ると古河橋へ、左に下ると庚申渓谷林道に合流します(写真: 2007/11/17)。
(抜粋 : 現地案内板)
舟石(ふないし)
舟石には、明治のはじめ数戸の家が、農業を営み生活をしていました。当時は、この地を岩魚が多くとれたので、「魚の沢」とよんでいましたが、足尾銅山を開発した古河市兵衛が、明治30年代にこの地をおとずれたとき、この舟の形をした石を見て「舟石といったらどうか」といわれたことから「舟石」の地名がついたということです。
舟石の最も栄えたのは、大正7年(1918)のころで47戸の家が点在していましたが、徐々に少なくなり、昭和29年には、まったく住む人がいなくなってしまいました。
往時を物語る石碑が、今も山の上に残されています。 日光市
鉱山で働く人たちの安全と鉱山の繁栄を願い明治22年(1889年)に造営されました。足尾では最も古い山神社です。
写真は舟石林道の直ぐ脇にある参道石段で、一の鳥居が見えます(写真:2008/03/30)。
一の鳥居を経て参道を進みますと、途中に朽ちた橋が架かっていますが、この橋は危険ですので渡らず10m程上流にある堰堤まで歩き、それを渡り再び朽ちた橋まで戻り、改めて参道を進みます。まもなく正面に、拝殿・本殿が拝観できます。
(抜粋 :現地案内板)
本山鉱山神社
本山の山腹にあり、明治22年に本山坑に働く鉱員達の寄進により造営されたもので、足尾銅山の山神社としては、最古のものである。 鉱山神社はふつう山神社といわれ大山祗命、金山彦命、金山姫命の三神を祀ってある。本殿は流れ造りである。
この神社の鳥居は明治22年4月に建造されました。鳥居の構造は素朴な 神明鳥居形式
で、材質は鉄で全体に直線的に造られています。柱は撮影位置の関係で上方が狭く見えますが、実際は地面に対し垂直に立てられています。
(写真:2008/03/30)
この神社の石燈籠は明治41年5月に建造されました。石燈籠の背面には、「明治四十壹年五月建之 東京 木村長七」と、文字が刻まれています(左右写真:2008/03/30)。
この石燈籠も、きっちりと製作されたのでしょう、各部の変形もなく永い年月に耐えてどっしりと建っています。
通洞鉱山神社の狛犬はユニークな表情ですが、この本山鉱山神社の狛犬はきめ細かく緻密な仕上がりで、かつその力強さには圧倒されます。
これら先人の努力により造営された本山鉱山神社の構造物が、末永く残ることを祈念します。
(右写真 本山鉱山神社の狛犬:2008/03/30)
(左写真 通洞鉱山神社の狛犬:2007/10/20)
本山鉱山神社の本殿は、拝殿後ろの石段(崩れているので注意してください)を、上りきった所に建っています(写真:2008/03/30)。
社殿の形式は多くの神社に用いられている "流れ造り" で、この横からの撮影では写真の左手が向拝のある前面です(写真:2008/03/30)。
♦流れ造り:屋根が、後方に比べ前方が長く曲線で伸び、向拝を覆う。
♦本山鉱山神社の懸魚
破風板(はふいた)に吊り下げられた、本山鉱山神社の "懸魚" は、シンプルな造りながら長年の風雪に耐えぬいた品格さえ感じられます
(写真:2013/07/02)。
♦懸魚(げぎょ): 水に縁のある魚の形をした飾りを屋根に懸けて、火に弱い木造の神社や寺院を火災から守るために、祈願する。
本殿母屋の柱は丸柱で、向拝(こうはい・ごはい)の左右の柱は面取角柱で獅子が外側から内側に向いている彫刻が施されています。この彫刻を眺めていると、この社殿を造営し、本山坑で働いた先人達の心意気が感じられます(写真左右:2008/03/30)。
(彫刻制作:磯部儀兵衛)(社殿竣功式:明治22年4月28日)
神社の一段下にある広場はグランド跡で、野球や運動会などに使用されたそうです。写真の右下にはグランドローラ、中央の上方に神社、左端には石燈籠が写っています。社殿へ行くには、写真の左奥にある階段をあがります(写真:2008/03/30)。
♦ 本山坑に勤めていた方(昭和11年(1936)生まれ)の、回想文 ♦
・・・(前文略) 本山には本山神社の一段下にある長さ約80メートル、縦40メートルのグランドがあり、そこが野球の練習場でした。仕事を終えて、坑口からは80メートルもある高台のグランドに向かうのは難儀であった。
いざ練習がはじまると、低いバックネットをこえてファールボールがよく下まで落ちるので、補欠のボール拾いは大変だった。すぐ下の社宅で止まればよいが、 杉菜畑の職員浴場 まで落ちることもしばしばありました。ボール一個拾うのに二十分もかかるので、ヘトヘトになり練習どころではなかった。(後略)・・・「町民がつづる足尾の百年・第2部」 『明るい町』編集部 からの抜粋
車の止まっている桁橋は平成5年に架設された新古河橋で、この新古河橋が舟石林道の東側からの起点となります。新古河橋に隣接する橋が、弓弦形構造の古河橋です(左右写真:2007/08/19)
♦古河橋と新古河橋
足尾町赤倉の初夏。 製錬所が盛んに操業していた当時 はげ山であったろう その山が今、満開のニセアカシア(ハリエンジュ)でクリーム色に輝いています。
(写真:2019/06/05)
右の写真は、古河橋からの足尾製錬所です(写真:2010/02/21)。
通洞選鉱所では、粗鉱(品位約1.5%)から精鉱(品位約20%)を抽出しました。
足尾製錬所では、通洞選鉱所から搬送された精鉱(品位約20%)から粗銅(品位約99%)を抽出します。
品位をさらに高めるために、この粗銅(品位約99%)を日光電気精銅所に送り電気精錬を経て、電気銅(品位約99.99%)を析出しました。
♦銅粗鉱: 鉱山から採掘されたままの鉱石(品位約1.5%)
♦銅精鉱: 通洞選鉱所での最終製品となる鉱石(品位約20%)
♦粗 銅: 本山製錬所での最終製品となる粗金属(品位約99%)
♦電気銅: 日光電気精銅所での最終製品の一つとなる金属(品位約99.99%)
1914年(大正3年)8月26日、足尾鉄道の、足尾駅 ↔ 本山駅 間が開通しました。その時から本山駅は貨物専用駅でした。貨物輸送の終了に伴い、現在は使用されておりません。
写真は、本山駅(製錬所内)へとつながる出川橋梁(橋長54.82m、支間約15m)で、渡ると終点の足尾本山駅でした。
(左写真:2007/10/20)(右写真:2008/03/30)
足尾本山駅
大正3年(1914年)8月、足尾本山駅貨物線開通(本山駅は貨物専用駅)。
平成元年(1989年)3月、本山製錬所の操業停止に伴ない製錬粗銅の貨物輸送廃止。
線路の左に建つ木造平屋建ての家屋が、本山駅舎です(写真:2010/03/12)。
大正3年、出川左岸に設置された動力所です。ここの動力所では大型コンプレッサーで圧縮空気を作り、坑内各所に張り巡らせた鉄管を介して、削岩機の動力源である圧縮空気の集中供給を行ないました(左右写真:2008/03/30)。
それまでは低容量のコンプレッサーを坑内各所に分散して設置していました。
(ロールオーバー時の写真): 左端に写る建物は改築された動力所の建屋で、右隣の構造物はコンプレッサーの作動音を遮断するための防音壁です(写真:2019/06/05)。