庚申山(Ⅲ)
庚申山は、原始林の景観に優れた山で、初夏のツツジ、さらに岩壁山容の秋は、男性的な紅葉の景色が楽しめます。
庚申山は、原始林の景観に優れた山で、初夏のツツジ、さらに岩壁山容の秋は、男性的な紅葉の景色が楽しめます。
自然に恵まれた足尾は植物の宝庫といえるでしょう。その中でも国の特別天然記念物に指定されているコウシンソウは足尾を代表する植物といえます。
⇒ フォトギャラリー/庚申草
[ 一度見ぬ馬鹿、二度見る馬鹿 ] という、庚申山にたいする興味深いことわざも有り、坑夫滝 、天狗の投石 、サルの花よめ 、大忍坊、などの 興味深い話題も沢山有りました(庚申山Ⅰ,Ⅱ)
そう言う訳で以下にあげた庚申山の風景もご覧ください。
(1)猿田彦大神/庚申山荘
(2)天下の見晴らし
(3)丁石が現存する参道
(4)庚申山に咲く花
(5)水ノ面沢の滝
(6)オトシブミという名の昆虫
庚申山荘のロビーの一角にある小祠が、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の本殿です
(横長写真:2010/06/11)。
向かって右側にある掛け軸には、三神が描かれています。掛け軸には、猿田彦大神が上方中央で榊(さかき)の枝を持ち、雲の上に立っている姿が描かれています。右下の大国主は、矛を持ち立ち、左下の少彦名は、薬壺を持ち座しています。
(縦長写真:2010/06/11)
‹ 現地案内書の抜粋 ›
庚申山山荘 護摩法要のご案内
毎年Ο月とΟ月の第三日曜日の朝Ο時より山荘内にて、六檀護摩法要を厳修しております。秘仏であるご神体のご開帳もいたしますので、ご縁のある方は是非ご参拝下さい。ご神体猿田彦大神は、天孫族の道案内として神話の中に登場する故に、道祖神として旅行の安全をお祈りしたり、寿命の長久や縁結びなども司ります。
春から秋の季節を背景に、山荘を写しました。
◎木々が芽吹く春の山(写真:5月15日)
◎青葉で覆われた庚申山荘(写真:6月11日)
◎深緑に包まれた庚申山荘(写真:7月19日)
◎澄みきった秋空を背景に庚申山荘(写真:10月23日)
◎秋が深まるにつれ寂しさの増す樹木の中で(写真:10月29日)
庚申山を眺めるには、"天下の見晴らし"がお勧めです。
山荘から0.7km南下した所にある尾根の鎖場の岩を登りきると、そこが天下の見晴らしです。このピーク(標高1500m)には、左写真のように大きな岩が鎮座しています(左写真:2010/07/19)。
山荘とほぼ同じ標高のこのピークからは360度の展望が開け、遠くから、そして周りから押し寄せる樹海の大波小波に、圧倒されます(右写真:2010/07/19)。
その "天下の見晴らし" と名づけられた展望の良い頂上から撮影した庚申山です。
手前左の山は、"銀峯(1681m)" という馴染みの薄い山ですが、秋に織り成す岩壁と紅葉の景色は、男性的な足尾の秋色を演出します(写真:2010/07/19)。
左 "銀峯"(1681m) 右 "庚申山" (写真:2010/10/23)
♦庚申山とアカヤシオ
天下の見晴らしからの眺望(写真:2010/10/23)
天下の見晴らしからの眺望(写真:2010/10/23)
天下の見晴らしからの眺望(写真:2010/10/23)
♦男性的な足尾の秋景色
江戸講中の人たちが建てた "丁石"の一部が、今も登山道に現存しています。
縦長写真の場所は、磐裂(いわさく)神杜からちょうど百丁目の地点にあたり、丁石も健在です。
現地案内板によりますと、磐裂神杜から庚申山までは、114丁(旧道)の距離があり、この丁石は文久3年(1863)の建立だそうです(縦長写真:2008/06/14)。
庚申山まで114丁の距離とは言っても、庚申山講者の目的は、山内の岩場を巡り、神社に参詣することですので、旧猿田彦神社跡が、「百十四丁目」に当たります(横長写真:2008/06/14)。
歩いた距離を指し示すこれら丁石の存在は、きびしい水ノ面沢(みずのつらさわ) 沿いの山道を、息を切らして登る庚申山講者にとって、心強い水先案内人の役を担うものだったのでしょう。
♦丁石(ちょういし):昔、道しるべとして用いられ、1丁(約109m)の間隔を置いて立てられた。
♦庚申山講:庚申山に登山し猿田彦神社に参詣する信仰団体を言う。
‹ 現地案内板の一部抜粋 ›
庚申山猿田彦神社 : 猿田彦神社は拝殿と各部屋を構えた100余坪の平家建てでありましたが、昭和21年4月に焼失してしまいました。
写真は、遠下の磐裂神杜に建立された「一丁目」の丁石で、庚申山登拝の出発点にあたります。
この丁石は 江戸時代末期、文久3年(1863年)4月8日に建立されたものです(写真:2008/8/12)。
磐裂神杜から114丁離れた猿田彦神社跡には、到着地を示す「百十四丁目」の丁石が、神社跡の石垣の前に、苔むした状態ですが現存しています(写真:2010/10/23)。
♦登拝起点の磐裂神杜に「一丁目」の丁石が存在すると言うことは、猿田彦神社跡までの実質距離は
114丁目-1丁目=113丁となるのでしょうね。
♦磐裂神杜から庚申山猿田彦神社跡までの距離 百十四丁(旧道)とは、どのくらいですか?
1丁≒109mですから114丁=12.4kmと、なります。
[ためしに電子国土地図上で、計測してみました]
その結果は、計測距離=11.6km(高低差無視)となりました。
旧道と新道の違いはありますが、ほぼ一致と言っても良さそうです。庚申山の山中に設置された丁石は、大変信頼できる道標だったのですね。
お山巡りのみち途中にある衝立岩にはユキワリソウが所狭しと咲いています。一つひとつの花は可憐ですが沢山の花数のため、黒い岩壁は紫に染まり今年も華やかな岩壁になりました。
掲載写真ではアップ撮影のため群生表現が今一つでした(写真:2008/06/14)。
♦ユキワリソウ :
サクラソウ科の多年草で高山の湿った岩場に生える。花は淡紅紫色で直径1cmほど、葉はへら状で多数根生。
♦雪割草 :
上記のユキワリソウと同じ名前でも、まったく異なるオオミスミソウと呼ばれるキンポウゲ科ミスミソウ属の植物。多彩な花色、多くの花形の変異があり、新しい花づくりを楽しむ愛好家も多い。
♦岩場に咲くユキワリソウ
庚申山荘の裏と、猿田彦神社跡の二ヶ所で自生しています。山荘裏も神社跡も真紅一色のクリンソウの群生です。その為、一見するとヒガンバナ(彼岸花)の群生を連想させられます(写真:2010/06/11)。
♦クリンソウ(九輪草):花色は、ピンクや白などの変種が知られていますが、基本種の花色は庚申山で群生している濃い紅色です。
♦真紅一色のクリンソウ
庚申山に自生するクリンソウもユキワリソウも、サクラソウ科サクラソウ属の多年草です。
しかしクリンソウは草地に生えて、高さは40cmほどに生長しサクラソウの中では大型の部類に属しますが、ユキワリソウは岩場に自生し、高さも10cmほどしか生長しません。
このように生息場所も大きさも異なりますが、どちらも亜高山帯の人目に付きにくい場所で、ひっそりと咲いています。
(横長写真ユキワリソウ:2010/06/11)
(縦長写真クリンソウ:2008/06/14)
自然に恵まれた足尾は植物の宝庫といえるでしょう。その中でも国の特別天然記念物に指定されているコウシンソウは足尾を代表する植物といえます。
しかし、国の植物レッドデータブックで「絶滅危惧II類(VU)
Vulnerable」に指定される程、絶滅の危険が増大している植物なのです(横長写真:2011/06/20)(縦長写真:2008/06/14)。
庚申山は原生林の豊かな山ですが、コウシンソウの生育地は垂直な岩壁ですので、崖崩れや落石などによる自生地の自然崩壊の懸念がつねにあります(左右写真:2010/06/11)。
更には撮影、観賞、観察時の周辺環境破壊も考えられます。コウシンソウ自生地を厳重に保護し、今後もコウシンソウを守りましょう(写真:2011/06/20)。
♦ コウシンソウ
◊ 明治23年 三好学博士 庚申山で発見
◊
大正11年 天然記念物に指定
◊ 昭和27年 特別天然記念物に指定
◊
昭和53年 自然保護シリーズ記念切手第19集の画題に選ばれ50円切手発行
◊ 昭和57年 足尾町の花に制定
♦垂直な崖で咲くコウシンソウ
♦発行日:昭和53年6月8日
♦種類:50円郵便切手
♦意匠:コウシンソウ
♦印面寸法:縦35.5mm 横25mm
♦版式刷色:グラビア3色
(明るい緑味青、にぶ紫、黄色)
凹版1色(こい紫味青)
♦原画作者:大塚 均(図案家)
♦発行枚数:30,000,000枚
‹ 初日カバー(FDC)より抜粋 ›
渡良瀬川左岸の向原にある足尾中学校の外壁はコウシンソウデザインの陶壁で出来ています。
(左写真:2008/10/25)
(右写真:2009/05/03)
幾段にもなって流れ落ちる "水ノ面沢" の滝に、登山者の心は いやされ、疲れも吹っ飛びます。
♦二条になって落ちる滝
♦二条になって落ちる滝
岩が重なり淵や落ち込みの続く渓流(写真:2013/08/28)
" 滝落ちてまた滝落ちて流れ来る " とおる
深緑に包まれた庚申七滝(写真:2013/08/28)
葉を落とした樹林の中を流れる(写真:2013/10/29)
複雑な流れのダイナミックな滝(写真:2013/10/29)
秋の気配がただよい始めた9月の林道を歩いているときのことでした。
道ばたの石の上で日なたぼっこをする1匹の昆虫に遭遇したのです。体長1cm位の昆虫ですが名前は分かりません。帰宅して調べたところでは、オトシブミという名の甲虫のようです。
来年(2010年)の初夏には、オトシブミの卵を持ち帰って羽化するまでを観察してみましょう(写真:2009/09/17 仁田元にて)。
♦
オトシブミ(落とし文): 初夏に樹木の葉を左右二つに折り畳んで葉先から2回転ほど巻いて、これに穴をあけて卵を産みつける。さらに巻き上げて巻紙の手紙に似た巣(揺籃)を作る。この揺籃の形が、"
落とし文 "の形に似ていたことが名前の由来とか。幼虫は揺籃を食べて、その中で蛹(さなぎ)になり羽化する。
2010年の初夏になりました。さっそく"落とし文"を拾いに行きましょう。
銀山平から一の鳥居までの林道と、そこから水ノ面沢に沿った登山道にかけて、それは落ちていました。
今迄もこの季節のこの道には多くの揺籃が落ちていた筈なのに、何度となく歩いたこの季節のこの道なのに、今まで気づかずに通り過ぎていたなんてアーァ
(-_-;)。
揺籃の大きさは直径1cm、長さ2~3cmくらいです(写真:2010/06/11)
♦
落とし文(おとしぶみ):おおっぴらには言えない事柄を、自然に人が読んでくれることを期待して、人目につきやすい道路などに落としておく文書。
♦ 揺籃(ようらん) :
「ゆりかご」の漢語的表現。ここでは、卵の入った葉巻の筒のこと。
持ち帰った揺籃を適度な湿度に保っておくと15日目から羽化が始まった。
右写真のように揺籃の外壁に穴をあけ、左写真の虫が出てきた。確かに揺籃はオトシブミが成長するまでの衣・食・住でした。
(左写真:2010/06/28 私の腕の上を歩くオトシブミ)
(右写真:2010/06/27 住人?の居なくなった揺籃)
" 落し文地球の明日を託しけり " とおる