忘れられつつある細尾峠道
細尾峠細尾峠は、細尾町と神子内を結び、茶ノ木平(1600m)と薬師岳(1420m)の鞍部に位置する、標高が1193mの峠です。
足尾側から見た細尾峠は、石組み側壁の切り通しで、マウスでロールオーバした時に変化する写真は、日光側から見た細尾峠です(撮影:2012/01/26)。
♦ 細尾峠 ♦
古くは足尾峠 (「日光山誌」 ほか) と称された。早くから細尾と足尾を結ぶ足尾道が開かれており、古峰神社・深山宿(現鹿沼市)から薬師岳・歌ヶ浜へ抜ける日光修験の中間点でもあった。「日本歴史地名大系9」平凡社からの抜粋
細尾峠の道
漱石の「坑夫」の主人公が "銅山(やま)" へ行く場面において、
「山の中に山があって、その山の中に又山があるんだから馬鹿々々しい程奥へ這入る訳になる。…」 という描写がありますが、
その主人公が越えた峠が、ここ細尾峠の道です。
神子内から細尾峠を経て日光市細尾町に至る道は、「日光・足尾街道」と呼ばれました。
昭和11年(1936)に自動車道に改修され、昭和37年(1962)には国道122号に昇格したが、昭和53年(1978)に総延長2,765mの 日足トンネル が開通した為、細尾峠道は 日足トンネル道 に国道の座を譲りました。結果、閑静な峠道となりましたが、多くの登山者が登山コースの一つとして修験の道を訪れています。
上掲のコースタイムと案内図は、現地案内板を写しました。
♦ 現地案内板 ♦
足尾と日光の境に位置する細尾峠は、古くは日光山僧徒が峰修行の路として開いた。以後、足尾銅山の発見により往来が盛んになり、明治時代には銅山発展とともに道路を拡張し、峠には停場(とまりば)が設けられ荷物交換の行列で賑った。更に輸送拡大のため、明治23年(1890)に日本最初の鉄索が峠の両側に架設されたが、「足尾鉄道」の開通により利用は減退した。昭和11年(1936)に自動車道として改修され足尾の大幹線となったが、昭和53年(1978)に待望の「日足トンネル」が開通し静寂な峠となった。日光市
旧国道 細尾峠道を歩く
"長い長い峠道" を歩く 冬の足尾の散策は、細尾峠道に限ります。適度に積もった路上の雪は、気持ちの良い雪山散策を演出してくれます。なによりも迷子にならない雪山歩きが嬉しいです。
日光側から 「日足トンネル」 を抜けて、神子内川に架かる「焼山(やきやま)橋」を渡ります。その橋の左たもとにある道が、峠道の足尾側からのスタートです(写真:2012/01/26)。
地蔵坂
"日足トンネル" の足尾口を見下ろすあたりから、地蔵坂が始まります。ヘアピンカーブの続くこの場所は、細尾峠道のなかで最も傾斜があります。
(左右写真:2012/01/26)。
♦ 地蔵坂 ♦
男体山で修行しようとして当地まできた巫女が腹痛を起こして世を去り、勝道がこの巫女を哀れんで地蔵尊を建て供養したことから、その地を地蔵坂とよぶようになり、当地を神子内と称するようになったとする伝説がある(足尾郷土誌)。「日本歴史地名大系9」平凡社からの抜粋
旧道に残る標識
昭和53年(1978)に "日足トンネル" が開通して、細尾峠道は 日足トンネル道 に国道の座を譲りましたが、今も旧道には国道番号標識が、取り残されてます(右写真:2012/01/26)。
また、ヘアピンカーブの続くこの道は、カーブの数を示す表示板も残ってます(左写真:2012/01/26)。
石組み側壁
山腹を切り開いた切り通しの道は、雨水による破壊の危険が常にあります。細尾峠道でも崖崩れに抗しきれなかった箇所は、再三にわたり修復工事が実施されたことでしょう。その形跡を見ることができます。写真をマウスでロールオーバしてください(写真:2012/01/26)。
峠道を歩けば石積み構築物により、当時の土木技術を垣間見ることができるでしょう。
細尾峠にて細尾峠は、 古峯神社、深山巴の宿 から 薬師岳、歌ヶ浜 へ抜ける "日光修験" の経路上にあります。
修験の札(写真左上&右端:2012/01/26)
峠から細尾方面を写す(写真中上:2012/01/26)
茶ノ木平方面を示す道標(写真左下:2012/01/26)
薬師岳方面を示す道標(写真中下:2012/01/26)
♦細尾町側から足尾町方面を撮影した細尾峠
♦ 現地案内板 ♦
長い長い峠道 - 銅(あかがね)の行き交う道 -
この峠は、昭和53年、日足トンネルが開通し現在の国道ができるまでは、日光市と足尾町を結ぶ大動脈でした。
足尾は江戸時代に発見された足尾銅山で有名ですが、明治に入ると、群馬県から足尾へ入る足尾線(現在のわたらせ渓谷鉄道)が開通するまでは、銅山の物資搬入や採掘された銅の搬出は細尾峠を越えて行われていました。
このように日光と足尾は、この峠道を通して物資や人の交流がさかんになり、特に明治39年、足尾銅山の銅を精錬する工場(日光電気精銅所)が日光市清滝に置かれてからは、細尾峠を越える交流は一層深いものとなりました。
しかし、時代の流れからか、昭和48年、足尾銅山の閉山とともにこの峠道を通しての交流も徐々に薄れてきて、日光と足尾を結ぶ主要道路が、日足トンネルの開通に伴ない、人々の生活交流はもちろん広域観光ルートとして新しく生まれ変わるに至って、この峠道はすっかり昔のにぎやかさが影をひそめました。
今では、初夏の新緑や秋の紅葉が楽しめる手軽なハイキングコースとして利用されています。日光市
日足トンネル
日光側から入ると、日足トンネル内で、足尾町となります。昭和53年に日足トンネル(延長2,765m)が開通した。日足トンネルの開通によって、細尾峠ルートは国道から旧道に格下げされ、このトンネルが新道として国道122号となりました。
(写真右2007/09/02:日足トンネル内)
(写真左2009/01/18:つづら折れ(ヘアピンカーブ)の続く細尾峠越え旧道)
♦栃木県内のトンネル長さベスト5♦
No.1 日足(にっそく)トンネル 2,765m 国道122号 日光市
No.2 尾頭(おかしら)トンネル 1,782m 国道400号 日光市・那須塩原市
No.3 田茂沢(たもざわ)トンネル 987m 県道川俣温泉川治線 日光市
No.4 鳴虫山(なきむしやま)トンネル 967m 日光宇都宮道路 日光市
No.5 鞍掛(くらかけ)トンネル 938m 県道大沢宇都宮線 宇都宮市・日光市