山野草(Ⅱ)
足尾山地の植生は、大きい標高差(約1,400m)と崩壊裸地での足尾固有の植生環境、そして過去の煙害による影響等、自然的にも人工的にも特異な条件のもとで成り立っています。
足尾山地の植生は、大きい標高差(約1,400m)と崩壊裸地での足尾固有の植生環境、そして過去の煙害による影響等、自然的にも人工的にも特異な条件のもとで成り立っています。
気候に関しては山地の標高が高いことから、夏は涼しく、冬は乾いた季節風が吹き土壌が凍結するほどの寒さですが、積雪はそれ程多くありません。
このような足尾固有の自然の中で育まれた植物群を紹介します。
Ⓐ春の散歩道 ⇒ Ⓑ夏の散歩道 ⇒ Ⓒ秋の散歩道 ⇒ Ⓓ冬の散歩道
舟石峠の駐車場から備前楯山に向かい15分ほど登ってみました。左奥に、備前楯山の山頂が顔をだしました。右後方を振り向けば中倉尾根の新樹が輝きを見せ始めています。
目の前の尾根伝いには、淡紅紫色の花が咲いています。雄しべが10本、かつ枝先にわずかに芽生えた3枚の葉からトウゴクミツバツツジかと思われます。
(左右写真:2016/05/03 右写真の山は備前楯山)
♦一年前に出会った東国三葉躑躅
♦トウゴクミツバツツジ : 関東地方の山地に多いことから東国の名がつく。雄しべが10本の落葉低木。よく似たミツバツツジは雄しべが5本。
午前5時、舟石峠駐車場を出発、目指すは備前楯山のアカヤシオ。
登り始めて直ぐに見覚えのあるトウゴクミツバツツジに出会いました。丁度一年前に出会ったときは満開でしたが、今年はまだかたい蕾、一週間ほど開花が遅いようです。
中腹辺りからはアカヤシオの桃色の塊りがあちこちに点々と散らばって存在し、山頂付近ではさらに群落となって出迎えてくれました(左右写真:2017/05/03)。
♦ヤシオツツジ : アカヤシオ・シロヤシオ・ムラサキヤシオの三種類があり、昭和44年(1969)栃木県の県花に指定された。
♦アカヤシオ : 山地の岩場に生える落葉低木で、葉が出る前に桃色の花が咲く。
庚申山の、この時期のこの辺りの山肌は、まぶしいほどの新緑に覆われます。その新緑に覆われた稜線上に、一本の大きな木が立っていました。低木が多いツツジ類の中では高木に属するシロヤシオですが、これほどの高木に生長したシロヤシオにびっくり。その上、すがすがしい純白の花にも巡り合い感謝。しかも満開です(写真:2017/06/05)。
♦シロヤシオ(白八汐):アカヤシオの花が終わる頃、主役はトウゴクミツバツツジへと移り、シロヤシオの花も咲き始めます。
高木に生長したシロヤシオの樹皮は松のように荒々しく、マツハダという名で呼ばれることもあります。葉が5枚輪生することからゴヨウツツジ(五葉躑躅)とも呼ばれます。
花と葉がほぼ同時に展開するシロヤシオ。花の白と若葉の緑のコラボに感激です。
「あの白いものは何?」
参加者の一人が指さす方向を見るとそれはありました。どなたかが発した返事の言葉は、「ギンリョウソウ!」(写真:2015/05/27)。
あらためて周囲を見まわすと、あっちにもこっちにもあるではありませんか。花の向きは産業遺産を見守っているかのように、私達の方を向いて咲いていたのです。竜頭のような容姿の透き通った白い花との出会いは、宇都野火薬庫見学ツアーの参加者たちにとって予期しない出来事でした。
♦ギンリョウソウ:葉緑素のない腐生植物で、全草が銀白色を呈するので銀竜草。暗い林の下でこの白い草を見た人は一瞬ぎょっとするのでユウレイタケ(幽霊茸)ともいわれる。
♦腐生植物:自分では栄養をとることができずに、落葉や腐植した葉から養分をとる植物。
♦庚申山の "お山巡りのみち" コース上で 銀竜草 に出会う
庚申山の岩壁に咲いているユキワリソウ。一つひとつの花は可憐ですが沢山の花数のため黒い岩壁は紫に染まり、今年も華やかな岩壁になりました。ユキワリソウはサクラソウの仲間で、日本全土の山地から高山帯にかけて岩場などの湿ったところに自生しています(写真:2008/06/14)。
♦ユキワリソウ:サクラソウ科の多年草で高山の湿った岩場に生える。花は淡紅紫色で直径1cmほど、葉はへら状で多数根生。
♦雪割草(ゆきわりそう):上記のユキワリソウと同じ名前でも、まったく異なるオオミスミソウと呼ばれるキンポウゲ科ミスミソウ属の植物。多彩な花色、多くの花形の変異があり、新しい花づくりを楽しむ愛好家も多い。
♦高山の湿った岩場に生えるユキワリソウ
♦庚申山の "お山巡りのみち" コース上で ユキワリソウに出会う
雨上がりの朝、「芝の沢」の道端に桃色の花が垂れ下がって咲いていました。シュウカイドウの花に似ていると思いましたが、その時点では花の名前は分からず取りあえずシャッターを一回切りました(写真:2015/10/12)。
[作句時期:元禄4年~7年(1691~1694) ]
[シュウカイドウ渡来:寛永年間(1624~1644) ]
[スイカ渡来:慶安年間(1648~1652) ]
シュウカイドウもスイカも日本古来の植物ではなく、江戸時代に渡来した植物だそうです。輸入されて間もないこの題材をいち早く取り入れて俳句を作ったことに驚かされます。私などは今回カメラのシャッターを押したことで、初めてシュウカイドウの同じ株に雄花、雌花が存在することを知りました。個人的には幾度かシュウカイドウの撮影に行ってたのに、マッタク気が付きませんでした
(-_-;)。。。 という訳で、上掲写真のスイカ色の花は、シュウカイドウの雌花でした。
♦芝の沢 : 野路又橋から中原橋までの神子内川左岸に位置する地域。
♦シュウカイドウ:落葉樹のカイドウ(海棠)に似た淡紅色の花を秋に咲かせることから、シュウカイドウ(秋海棠)という名がつきました。淡紅色の花は、雌雄異花同株。
♦雌雄異花同株:雌雄両方の単性花をひとつの個体群にもつ植物のこと。雌雄同株ともいう。
♦単性花:雄性器官、または雌性器官のどちらかのみをもつ花のこと。
「遠下」の荒地に群生するススキの原。そのなかに黄色い実をつけた一本のカラタチの木がありました。あまりにもまん丸な実でしたので、思わずシャッターを切りました(写真:2015/10/12)。
♦遠下:「中才」と「切幹」の間にある地区。
♦カラタチ(枳・枸橘・枳殻):唐の国から渡来した橘、「唐たちばな」からカラタチになったと言われています。
カラタチは真ん丸な黄色い実を秋につけます。
この真ん丸な黄色い実を真ん中に据えてシャッターを切りました(^_^)v。
銅山観光近くの交差点に、ツタに覆われた電柱がありました。燃えることのないセメント製の電柱が、メラメラと燃えあがる姿にびっくり仰天です(縦写真2015/10/12)。
中才地区に赤いレンガの防火壁が今も残っています。ツタの緑色との対比が風情をかもし出しています(横写真:2015/09/22)。
♦防火壁の残る風景
♦中才:「松原」と「遠下」の間にある地区。
♦ツタ(蔦):紅葉が美しいブドウ科のつる性植物。
秋草の生い茂る 「芝の沢」地区の路傍に、一本の草が、すっくと立っていました(横写真:2013/10/14)。
二年後、秋草の生い茂る同じ場所に、思い当たる一本の草がすっくと立っています。きっと二年前に出会ったメハジキの子孫でしょう(縦写真:2015/10/12)。
住む人のいなくなったこの場所でメハジキの子孫に出会った時は、驚きとなつかしさの気持ちで一杯でした。
♦メハジキ(目弾き):路傍に自生するシソ科の2年草。益母草(やくもそう)という漢名は、「母の益になる薬草」という意味で、産前産後の薬として使われてきた。和名のメハジキ(目弾き)は、子供が茎を短く切って、上下まぶたのつっかい棒にする遊びから、この名があるそうです。
通洞駅から足尾歴史館への道、通称 「トロ道」 を歩いている時、コスモスの花に目がとまりました。
コスモスといえば公園やスキー場などに植えられたコスモス畑の大群落を思い浮かべますが、今は、目の前にあるたった二本のコスモスに目を奪われたのです(写真:2015/10/12)。
咲いている場所がセメント縁石のわずかな隙間のため、あまりにも厳しすぎます。
♦コスモス : 明治時代に渡来したメキシコ原産のキク科の一年草。風雨で倒れてもまた起き上がり花を付け、晩秋まで咲き続ける。秋にサクラのような花を咲かせるため 「 秋桜 (アキザクラ) 」 との和名がある。
貼り出す文書もなく、立ち止まって読む人もいない掲示板が、道路のかたわらに立ってます。そこでは、光に包まれたススキの穂が風になびいて、掲示板を囲むように生えていました(左写真:2015/10/12)。
トロッコわっしー6号が、ススキをなびかせ走ります(右写真:2015/10/12)。
♦トロッコわっしー6号
♦ススキ(芒・薄):日当たりのよい場所に好んで生えるイネ科の多年草。尾花(おばな)という名で万葉集に詠まれた秋の七草の一つ。萱(かや)葺き屋根の材料として用いる。
横場山の中腹に、細い枝を株元からたくさん出したエニシダが群がり生えていました。この時季、エニシダの葉は落ちてますが、枝自体が緑色なので青々とした葉の付いた常緑樹のように見えます(横場山とエニシダの写真:2015/11/22)。
花後の実は "さやえんどう" そっくりで、熟して黒くなりました(エニシダの実の写真:2015/11/22)。
花の咲く時期ではないのに黄色いエニシダの花がぽつりと咲いていました(写真:季節はずれに咲いていたエニシダの花:2015/11/22)。
横場山の緑化に使用した草の種子の中では、 "ススキ" や "ウィーピングラブグラス" などがよく育っています。
♦エニシダ : 一つの花は小さいが、黄色い花をびっしりと咲かせ、斜面一杯黄金色に染まる光景は美しい。果実はマメ科固有の、莢(さや)の中に種子が入る莢果(豆果)で、黒く熟します。花が咲くのは芽生えてから3年目くらいで、生長が早く丈夫で耐寒性もあり荒廃地の治山植栽にも利用される。
朝日に照らし出された中倉山を写そうと、日の出前に横場山に登り待ちかまえていました。
(中倉山の全容は横場山に隠れ、銅親水公園からでは見られないので。)
今回はあいにくの天気で、中倉山を見ることはできませんでした(下写真:横場山から写す)。