足尾製錬所のある風景(Ⅱ)
増大する製錬処理に対応するため明治17年(1884)、現在の場所に製錬所を集約した。昭和48年(1973)閉山。その後、輸入鉱石の製錬を続けてきたが、平成元年(1989)に操業を停止した。
♦製錬:銅精鉱(品位約20%)を、粗銅(品位約99%)に精製すること。
♦精錬:粗銅(品位約99%)を、電気銅(品位約99.99%)に精製すること。
増大する製錬処理に対応するため明治17年(1884)、現在の場所に製錬所を集約した。昭和48年(1973)閉山。その後、輸入鉱石の製錬を続けてきたが、平成元年(1989)に操業を停止した。
♦製錬:銅精鉱(品位約20%)を、粗銅(品位約99%)に精製すること。
♦精錬:粗銅(品位約99%)を、電気銅(品位約99.99%)に精製すること。
16.冬ざれの ⇒ 17.木枯しや ⇒ 18.痩せすすき ⇒ 19.百年の ⇒ 20.アカシアの ⇒ 21.老骨を ⇒ 22.秋の雨 ⇒ 23.鉱山の ⇒ 24.花街の ⇒ 25.鑛山に ⇒ 26.中倉の ⇒ 27.廃村の ⇒ 28.沢という ⇒ 29.草もなき ⇒ 30.水仙の
冬ざれの銅山跡に猿の群れ 岸本とおる
岸本とおる:1949年(昭和24年)足尾生
ウエブサイト「足尾の風景」管理人
木枯しや夜の校舎を見て廻る 村上烏峰
村上烏峰:足尾鉱業所庶務課勤務
学校は庶務課の管轄でした
<足尾>
痩せすすきあかがねやまの奥に来ぬ 木津柳芽
木津柳芽:明治25年、本所生。
あかがねやまの奥:松木渓谷近辺
<根利行>
百年の計を若葉に造林地 佐竹三射
佐竹三射:大正3年足尾来山、足尾銅山勤務
アカシアの咲き充ち香る銅の里 岸本とおる
岸本とおる:1949年(昭和24年)足尾生
ウエブサイト「足尾の風景」管理人
老骨を埋むる鉱山や冬篭 太田後凋
太田後凋:龍蔵寺第五十六世住職太田貞観大僧正
<小集>
秋の雨笹青き上ノ平かな 河東碧梧桐
河東碧梧桐(かわひがし へきごどう):愛媛県生(明治6年~昭和12年)。
明治39年全国遍歴の旅(後紀文集『三千里』を編む)の途中、足尾に立ち寄りました。上の平にて銅山幹部と交流、久蔵より中禅寺湖へと旅を進めました。
鉱山の雲がかりして秋の晝 飯田蛇笏
飯田蛇笏:昭和8年足尾来訪
<足尾町二句>
花街の灯月の銅山そびえたり 飯田蛇笏
飯田蛇笏:昭和8年足尾来訪
鑛山に宿かる園の芒かな 飯田蛇笏
飯田蛇笏:昭和8年足尾来訪
中倉の尾根に一樹や秋の空 岸本とおる
岸本とおる:1949年(昭和24年)足尾生
ウエブサイト「足尾の風景」管理人
<裏足尾・松木谷>
廃村の寺埋め鉱滓山眠る 鈴木詮子
鈴木詮子:大正13年東京生
鉱滓(カラミ):製錬により鈹(かわ)と、かすに分離する。このかすを鍰(からみ)という。
<足尾掛水>
沢という沢は滝なる出水哉 佐竹三射
佐竹三射:大正3年足尾来山、足尾銅山勤務
草もなき嶽岳の群ら立つ狭霧かな 飯田蛇笏
飯田蛇笏:昭和8年足尾来訪
<足尾山中にて>
水仙の雪よごれして咲きにけり 村上鬼城
村上鬼城:(1867~1938) 大正7年足尾来訪